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【 うちの国のエネルギー政策が、この先、どんな大方針のもとに運営されるのかについて、東電はもちろん、どの大臣も明確な説明をしていない。どじょうが出てきてこんにちわで、坊ちゃんいっしょに遊びましょうみたいな、ずるずるべったりの展開だ。 】
【 残念なのは、再稼働した(←すでに完了形で語っています)ことそれ自体ではない。
本当に残念なのは、再稼働に当たって、うちの国の原子力政策の将来像がまったく提示されず、稼働を許すための条件も課されず、ひとっかけらの約束すら掲げられていないことだ。】

小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句(読むには無料登録が必要ですが、この方のコラムは一読の価値があります。)

 

2012.5.5より転載

5月5日の今日、北海道電力の泊原発が停止し、42年ぶりに原発の稼働していない日を迎えた。

うれしい日に申し訳ないのだが、この先の不安を伝えたい。

ぼくとしては珍しく、拡散してほしい話だ。

何かというと「偽装停電」の不安だ。市民が「原発なしでも電気は足りる」と言っている最中、
停電させるのは「やっぱり原発が必要なんだ」というPRに使える。
電力会社と政府は、去年も「計画停電」を偽装した。

その前に「需給調整契約*」を使って大口契約者の電気を止めれば足りたのに、それをしなかった。
しかもピークの出ない土日や平日の夜間、街路灯まで消した。

これは偽装だろう。そこまでする人たちが、この「原発は不可欠」と訴えたいこのタイミングを
逃すだろうか?

もともと家庭の電気消費は少ない。2010年で年間わずか22%にすぎない。
しかも足りなくなるのはピーク消費のある、ごく一時的だけだ。
ピーク時の「夏場・平日・日中」は、家庭の三分の二は不在で、ピークの電気消費に対する
家庭消費の割合は1割にすぎないのだ。
だからそもそも家庭の問題ではない。節電すべきなのは事業者なのだ。

(続きを読む…)

 

《政府が再稼働の候補にしそうなのは、関西電力大飯3、4号機(福井県)のほか、高浜3、4号機(同)、四国電力伊方3号機(愛媛県)、九州電力玄海3、4号機(佐賀県)、川内1、2号機(鹿児島県)の九基。》
東京新聞 2012.5.5

 

モーニングバード2012.5.3 21分

「原発の再稼働は夏場の需要とは関係ありません」関西電力が言い切っている。
動画の中で需給についても検証しているが、やっぱり電力は足りている。
会社が倒産しないために原発は永遠に動かし続けたいという関電の勝手な論理をわかりやすく説明。
この夏原発なしで乗り切れると、一番困るのは原子力ムラ。
必見の動画です。

 

5月5日の深夜、動いていた最後の原発、北海道電力の泊原発3号機が定期点検のため止まり、ついに原発の一台も動いていない日本が出現した。

nanohanaではサイトのスタートとともに、トップページに稼働原発のカウントダウンを掲載し、全機が止まる可能性を見つめてきた。実現する可能性が大いにあると思ってはいたが、実際にそれが実現するのは大変感慨深い。
まずは、素直に稼働原発ゼロの日を喜びたい。

しかし、この原発の一台も動いていない日本は何かの努力によって生まれたものではない。それは大震災と原発の壊滅的な事故との余波であり、それが大震災と原発事故による多くの(そしてこれからも延々とつづくであろう)犠牲者の上に成り立っていることを忘れてはならないだろう。最大級の自然災害と最大級の人災の複合災害という、人類未曾有の大災厄の焼け跡に咲いた一輪の花。
この大きな犠牲の上に出現した「原発の一台も動いていない日本」という奇跡を大切にしたい。

事故の日以来、稼働原発ゼロへのカウントダウンを数えながら、私たちは多くを考え、多くを学んだ。
そして、今気がついている。原発とは私たちのライフスタイルがもたらした怪物であり、もしその再稼働を望まないならば、私たちはライフスタイルを変えてゆかなければならないだろうということに・・・

今日、大手マスコミにいくつもの再稼働を望む記事が載ったが、その多くは産業界の声としてだった。
「いら立ち募らす経済界」 「従業員の生活にしわ寄せ」 「産業界にとっては安定生産の障害」 「海外移転が加速しかねない」
原発を望んでいるのは産業界なのだ。このことはとても象徴的に思える。

私たちの消費、そしてそれを支える生産システムである産業界。このシステムは限りない欲望を作り出しながら、去年よりも今年、今年よりも来年と、毎年利益が増え続け、生産が拡大し続けることを前提に成り立つように出来上がっている。逆に言えば、毎年生産が現状維持あるいは縮小し続けると成り立たずに潰れてしまう。大変困った、未熟なシステムだ。
そして、この拡大し続ける生産を支えるエンジンとして、もてはやされてきたのが原発だ。
いわば原発は産業の華であり、また消費の華ともいえよう。

私たちが原発をなくそうと思えば、改めなけれなならないライフスタイルの筆頭は、「贅沢は素敵だ」と言われてきた、この生産と消費のシステムではないだろうか。
ちょっと見には消費、贅沢、浪費はなかなか止まらないと考えられがちだが、実は本当に止まりづらいのは生産の方だと思う。

なぜか?
私たちは「働かざるもの食うべからず」という価値観に強く呪縛されているからだ。
私たち個人がというよりも、社会全体が・・・

革新的な技術の進歩は、本来なら人々を労働や苦労から開放しそうに見える。
例えば、田畑をクワで耕していた頃と比べると、耕運機が耕してくれる今の方が農業は楽になっているはずだ。
しかし不思議なことに、現実はそうはなっていない。
生産効率が上がると、値段が安くなるからだ。同じだけの稼ぎを上げるには、生産量を増やすしかない。作業の効率が倍になる技術が出現しても、倍以上の生産をしなければならなくなるとすれば、作業は楽にはならず、逆によりきつくなる。

今の農家は、クワで畑を耕していた頃と同じ生産量ではとても食べていけない。クワの時代の何倍も何十倍も、ひょっとしたら何百倍もの生産高を強いられている。
これでは技術の進歩によって解放されるどころか、負担がどんどん増えてゆくだけだ。

もちろん農家だけではない。あらゆる産業や、生活の中でも、同じことが起きている。
新型の洗濯機の出現によって主婦は楽になるのか?
新型の洗濯機などを買える生活水準を維持するために、主婦業の片手間にアルバイトにいかないとならないとしたら、さらには夫婦共働きでないとやっていけないとしたら、何のための技術革新なのだろう?

私たちの周りの技術革新はしかし、そういう風に進行してきた。
それは決して人々を解放する方向には向かっていなかった。

つきつめると機械に仕事を取って代わられて、失業するという事態すら発生する。
各地の都市で無人の電車が走っている。運転手はもう必要ない。
さあ、運転手は究極の”楽”を手に入れたのだろうか?
もう働かなくても食べていけるのか?

もちろん、そうではない。
私たちの社会は「働かざるもの食うべからず」という価値観に縛られているのだから。

運転手は仕事から解放されたのではなく、
ただ単に食い扶持を失ったのだ。
彼はきっと、食うために何らかの新しい仕事を探さなければならないだろう。
社会にとって重要な仕事ほど、機械化、効率化が進んでいる。
それによって仕事から締め出された人たちがありつける仕事はどんなものだろう?
おそらく、少しずつ重要さを失い、だんだんに、あってもなくてもいいような仕事になってゆく。
社会にとっては、ほんとは別にやらなくてもいいのだけど、
でもそんな仕事でも無理やり作り出さないと食っていけないからね・・・
かくて、世の中にはどうでもよいような仕事、産業、商品が溢れ出すようになる。

これを消費の側から見るとどうだろう?
例えば食料はどんどん生産量が増えてくるので、
一人あたりの食べる量もそれに見合って増えないとおかしい。
当然そうなる。
結果は肥満と糖尿病とダイエットブームと食べ残しのゴミの山だ。

食料など重要な品物の生産の機械化・効率化・無人化が真っ先に進むと、
それで職を失った人々は別の仕事を求めて、だんだんどうでもいいようなものを作り始める。

そうしたどうでもいいような商品も買い手がいないと成り立たないので、
人々はどんどん、なんだかどうでもいいような物を買わされるようになる。
例えばテレビの通販とかでね・・・

なんで、そうまでして働かないといけないのでしょうね?
何かおかしいよね。

この産業界というシステムは、無限に生産量が増えて行かないと成り立たない事になってる。
だけど、もちろん無限に増えてくなんて無理だ。
地球は有限だし、資源も、エネルギーも有限なのだから・・・

私たちは大きな時代の曲がり角に来ているのだと思う。
”成長の限界”というやつだ。
私たちがこれから減らしていかなければいけないのは、
消費ではなく、
生産であり、仕事だ。

生産物はもう溢れている。
あふれに溢れている。
これ以上作り出すことには、悲鳴を上げているのだ。
工場の社員がじゃないよ、地球がだ。

原発の事故は地球がそれを教えてるのだと思う。
もう、限界が近いよって。

だから、私たちが編み出さなければいけない新しいライフスタイルは、
仕事を減らし、生産を減らす、
なんて言うか遊んで暮らすに近いものになるんじゃないだろうか?

食料など本当に必要なものは、機械がかなりの部分を働いてくれるとしたら、
人間はそれ以上あんまり余計な仕事を増やさない方が地球のためだ、よね?

これってでも、今までの経済のシステム、
働いた見返りにお金を得るというシステムとは全く相容れない。

だから、なかなか難しそうだ。
これからは遊んだ見返りにお金を得るような新しいシステムをつくらないといけない。
これが新しいライフスタイルになると思う。
難しいだろうけど、いろんなものごとを発明してきた人類だからきっとできると思うな。
たとえばベーシックインカムとかは多少ともこれに近い経済理論だし、
もっともっと考えれば、良い知恵が浮かぶはずだ。

そして、遊んだり、踊ったり、ぶらぶらしてるとお金をくれる会社があれば、
みんな強いてまで働かなくなるんじゃないだろうか?
地球は少しは楽になるし、
私たちは、失業ではなく、解放されるのだ。

原発が次々に止まってゆくなかで、
政府や電力は、原発がないと困ったことになるよという苦し紛れのキャンペーンとして、
電力が不足するというデマを煽った。
そのデマにおどらされ、脅されながらも
私たちは”節電”というあたらしい習慣を身につけた。

しかしこれは単なる我慢では無い、なかなかすばらしい経験だった。
部屋の明かりを2割ぐらい暗くしても不自由もないことを知った。
電気料が安くなるのもうれしかったし、
別に見たくもないのにだらだらつけてたテレビを止めたら、
会話も増え、食事も楽しくなった。
友達は会社の冷房がゆるくなって冷え性の自分には良かったといってた。
我慢したことよりも豊かになったことの方に喜びを感じてる自分がいた。

”節電”はいろいろな発見があった。
電気の消費を減らすことは、
必ずしも我慢だけではないという、この発見は大きい。
豊かさや、解放がどこにあるのか少しだけ見えた気がする。

来るべき新しいライフスタイルは、
決して贅沢をあきらめることであったり、
買いたい物を我慢するようなネガティブなものではないと思う。

むしろ私たちは、無駄な仕事や消費をさせられ消耗しているのだと気づけば、
それらを減らすことは、自分の豊かさを取り戻すことであり、解放なのだとわかる。

せっかく全部止まった原発だ。
これはどう考えても神様の大きなプレゼントだと思う。
大事にしよう。
再稼働はしてほしくない。

そのために、
私たちは自分を解放するという新しいライフスタイルに挑戦してゆくことになるだろう。
その先に待っている世界を思うと、なんだかどきどきする。

無駄な電気を止めたように、
無駄な労働をやめて、人々が踊っている社会が実現したとき
原発は過去の遺物となっていることだろう。

夢を見る力が現実を変えてゆく。
私たちは今、新しいライフスタイルの入口に立っている。

 

東京新聞 社説 2012.5.4
 あす、原子力発電の火が消える。私たちは、それを日本の大きな転換点と考えたい。新しく、そして、優しいエネルギー社会へ向かう出発点として。

 私たちは間もなく、原発のない社会に暮らすことになる。

 全国五十基の原発がすべて停止する。国内初の日本原電東海原発(茨城県東海村)と敦賀原発1号機(福井県敦賀市)が止まって以来、四十二年ぶり。ただし、稼働中の原発がその二基だけだったころのことだから、比較にはならない。

◆不安定な基幹電源

 東海原発は一九六六年に、営業運転を開始した。その後七〇年代に二度のオイルショックを経験し、北海道から九州まで、沖縄を除く日本全土に「国策」として、原発が建設された。五十基が現存し、この国の電力の約三割を賄う基幹電源に位置付けられる。

 しかし、安全意識の高まりの中で、新規立地や増設が難しくなってきた。ここ十年で新たに運転を開始したのは、中部電力浜岡原発5号機など四基にとどまる。電源開発(Jパワー)が建設中の大間原発(青森県大間町)などは福島第一原発事故の影響もあり、操業開始のめどは立っていない。

 震災前にも、定期検査以外に不祥事やトラブルが相次いで、平均稼働率は六割台と低かった。震災後の昨年度は二割強にとどまった。原発は少し大きな地震に遭えば長い停止を余儀なくされる。基幹電源とはいわれていても、もともと不安定な存在なのである。

 「原発ゼロ」とはいうものの、原子炉は消えてなくならない。すぐに大きく社会が変わり、安心安全が訪れるわけでもない。

 震災時、福島第一原発4号機は定期検査で停止中だった。ところが津波で電源を失って、使用済み燃料を保管するため併設された貯蔵プールが冷やせなくなり、危険な状態に陥った。

◆神話と呪縛を克服し

 止まった後の課題も今後、ますます深刻になるだろう。

 中でもすぐに直面するのが二つの原発依存である。電力の約半分を原発に依存する関西の電力不足と、経済の大半を原発に頼り切る立地地の財政と雇用の問題だ。

 このほかにも、欧米や中国からも後れを取った風力や太陽光など自然エネルギーの普及促進や行き場のない高レベル放射性廃棄物の処分など、難しい課題が山積だ。原発ゼロはゴールではなく、原発に頼らない社会の構築へ舵(かじ)を切るスタート地点なのである。

 それでも明日は、われわれの社会と暮らしにとって、大きな転換点には違いない。

 ゼロ地点に立ち止まって考えたい。震災は、原発の安全神話を粉々にした。安全神話の背後にあるのが経済成長の呪縛である。原発、あるいは原発が大量に生み出す電力が、経済成長を支えてきたのはもちろん疑いない。

 経済成長を続けるため、電力需要の伸びに合わせて、高出力の原発を増設し続けた。そうするには、原発は絶対に安全でなければならなかったのだ。その結果、原発は安全神話に包まれた。

 消費者も、そのことにうすうす気づいていたのだろう。日本は世界唯一の被爆国である。私たちの記憶には世界中の誰よりも核の恐怖が染み付いている。経済成長がもたらす物質的な豊かさは、恐怖さえ、まひさせたのかもしれない。被爆国としての倫理に勝るほど、成長の魅力は強かったのか。

 経済成長の神話にも今は陰りが見える。目の前の転換点は、消え残る神話と呪縛を克服し、被爆国の倫理を取り戻す契機になるはずだ。経済の効率よりも、私たちは人間の命と安全を第一に考える。野放図な消費を反省し、有限なエネルギー資源をうまくいかすことができるのなら、新しい豊かな社会を築いていけるはずである。

 優しい社会をつくるため、私たち消費者もエネルギー需給の実態をよく知る必要があるだろう。暮らしを支える電力がどこでつくられ、電気のごみがどこへ葬られるかも知らないで、原発推進、反対の対立を続けていてもしかたがない。電力事業者の誠実な情報開示が必要だし、私たちの暮らしのありようももっと考えたい。

◆ゼロ地点から始めよう

 浜岡原発の全面停止を受けて名古屋では、原発推進、反対双方の市民有志がこの三月、地域にふさわしい電力供給と消費のあり方を事業者とともに考えようと、「中部エネルギー市民会議」を発足させた。「エネルギー自治」を目指す新たな試みだ。同様の活動は各地で始まっている。

 ゼロは無ではなく、そこから生まれるものは無限大という。明日訪れるゼロ地点から、持続可能で豊かな社会を生み出そう。私たちの変わる日が来る。

 

北海道新聞 社説 2012.5.4

東日本大震災まで日本の電力供給の3割を占めていた原発が送電を停止する日がやってくる。

 北海道電力泊原発(後志管内泊村)3号機があす定期検査に入り、国内の全原発50基が運転を止める。

 全原発の停止は、政府が議論を積み重ねた末に行った選択ではない。それどころか、政府はこの状況を避けようと、なりふり構わず再稼働を急いできた。

 政府の拙速な姿勢にブレーキをかけたのは、「できれば原発に頼りたくない」「再稼働は安易に認められない」という民意だろう。

 福島第1原発事故の惨状を目の当たりにした国民が、期せずして「原発ゼロの日」を実現させたと言える。

 私たちは、この日を原発のない未来に向けた真の意味での転換点としなければならない。

*脱依存の姿勢どこへ

 こうした民意を、政府は真摯(しんし)に受け止めているだろうか。

 枝野幸男経済産業相は「できるだけ早く恒久的に原発依存度をゼロにする」と強調するが、その言葉とは裏腹な事態が足元で進行している。

 エネルギー基本計画を見直す総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)で最近、2030年の電源構成について複数の選択肢が示された。この中には、原発比率が従来より高い35%の案も含まれている。

 こんなことが起きるのも、民主党政権の原発に対する姿勢が定まらないからだ。

 野田佳彦首相は就任時に脱原発依存の方向性を打ち出しただけで、目標達成に向けた具体的プロセスには一切ふれようとしない。むしろ姿勢が後退した印象さえ与える。

 最低でも、政府が示した寿命40年という新たな指針に沿って、危険で老朽化した原子炉から順次廃炉にしていく中長期の工程表が必要だ。

 併せて、再生可能エネルギーなどの代替電源を増強し、廃炉のスピードを早める努力が欠かせない。

 再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が7月に導入される。

 事業者の背中を押し、普及を加速させるためにも、首相は脱原発に取り組む決意と展望をはっきり語るべきだ。

*拙速な再稼働は論外

 場合によっては、中長期の脱原発と、短期の電力需給を切り離して考える必要もあるだろう。

 あらゆる手を尽くしても電力が足りなければ、新たな規制機関が最新の知見を取り入れた基準で安全性を確認し、必要最低限の原発の再稼働を検討することになる。

 現状は、その段階ではない。電力各社は今夏の電力需給見通しを発表したが、あくまで「言い値」であり、じっくり検証する必要がある。

 何より福島の事故の原因も責任の所在も解明されていない。事故への責任を問われてしかるべき経産省原子力安全・保安院が再稼働の手続きを進めるのも論外だ。

 政府は手順を誤ってはならない。肝心な点をあいまいにしたまま、福島の事故の前と同様の甘い規制が再現されることには、強い危機感を持たざるを得ない。

 原発事故の取り返しのつかぬ被害を受けるのは周辺住民をはじめとする国民であり、途方もない損害賠償を税金や電気料金の形で負わされるのも国民なのだ。

*道の工程表も必要だ

 福島県は県内全10基の原発を廃炉にし、再生可能エネルギーを軸とした復興プランを描いている。

 北海道は風力、太陽光、地熱など再生可能エネルギーの宝庫だ。

 北電は、現在接続希望のある風力、太陽光発電の270万キロワット全量を受け入れるには、北海道と本州をつなぐ海底送電ケーブル「北本連系」などの送電網強化に7千億円かかるとの試算を公表した。

 風力、太陽光は天候によって出力が変動し、道内だけではその影響を吸収しきれない。北本連系を通じて、電力の大消費地である首都圏に変動分を送電することで不安定さを克服する。

 北海道を再生可能エネルギーの供給基地と位置づければ、公費による助成も可能だろう。

 送電網は文字通りの公共財となり、中立性を高めるため発送電分離を含む電力改革の重要性が増す。

 原発の廃炉と同じく、再生可能エネルギーの普及にも中長期の工程表がいる。道も交えた第三者機関をつくり、地産地消と道外への供給の両面から課題とコストを早急に検証しなければならない。

 脱原発の視点に立った条例を持つ自治体の首長として、高橋はるみ知事は工程表づくりを主導すべきだ。

 同時に、私たちは暮らしを見つめ直し、エネルギー消費のベースを下げる努力が欠かせない。原発ゼロ状態で節電と省エネに知恵を絞った経験は将来への財産となるはずだ。

 原発を他の電源に切り替える道のりは平たんではないだろう。全原発が停止する「こどもの日」を、将来世代に安全な環境を約束するための長い挑戦の出発点ととらえたい。

 

読売新聞によると、《今夏の電力需給を検証する政府の有識者会議「需給検証委員会」(委員長・石田勝之内閣府副大臣)は26日、電力会社から提出を受けた供給力見通しをこれ以上積み増すことは難しいという見方でおおむね一致した。》

供給力のさらなる積み増し分として、夜間の余剰電力で水をくみ上げ、昼のピーク時に発電するいわば発電所の”蓄電池”といえる揚水発電に期待が持たれていたが、原発が停止すると夜間の余剰電力が不足するので十分な水量をくみ上げることができない・・・という説明だが、これほどあからさまなウソも無いだろう。

原発はそのシステム上、一度稼働させたら24時間フル稼働が通常の運転方法のため、電力需要の少ない夜間は電力が余る。この余った電力で水をくみ上げるのが通常の揚水発電だが、別に原発が停止したからと言って、くみ上げ能力が小さくなるわけではない。
通常は夜間には出力を落とす火力発電所を、夜間もフル稼働させれば良いだけのことだ。

また一つ、”電力不足”がでっち上げであることが明らかになった。
このようなでたらめを広めようとするマスコミにだまされまい。

関連記事
期待の揚水発電も積み増し難しそう…需給検証委 読売新聞2012.4.26  

重要:原発が全停止しても揚水発電は十分稼働できることを検証した
東電がようやく認めた“隠し玉” 揚水発電で夏の電力不足解消へ ダイヤモンドオンライン 2011年4月25日

 

原発を再稼働させたい人たちによる、この夏の”電力不足”キャンペーンがかまびすしいが、nanohanaでは繰り返しお伝えしているように、電力は十分足りており、すべての原発が停止しても不足しない。電力会社はこの事実は都合が悪いので、極力発電能力を小さく見せようと躍起だ。

昨年の記事だが、ダイヤモンドオンラインに、東電による揚力発電能力かくしの実態の詳しいレポートが掲載されている。
題して東電がようやく認めた“隠し玉” 揚水発電で夏の電力不足解消へ 2011.4.25

それによると、東電は夏の供給力の見通しを、4650万キロワットしか見込んでいなかったが(2011年3月時点)、実は計15ヵ所で1050万キロワットもの揚水発電の供給力が盛り込まれていないという。
2011年4月15日になり、「7月末時点で5200万キロワットの供給力を確保した」として小出しに積み上げてきているが、それでも揚力発電は400万キロワットしか盛り込まれていない。

震災の影響で1050万キロワットのうち160万キロワットは使えないと言うが、それでもまだ490キロワットが計上されていないことになる。

揚力発電では、水のくみ上げに要する電力の70%しか発電することができない。30%がロスとなり失われる。従って、490万キロワットを発電しようとすると、夜間に700万キロワットの余剰電力が必要となるが、すべての原発が停止してもこれが可能か?
ダイヤモンドオンラインの記事は、夜間の最低需要は3000万キロワットほどなので、700万キロの余剰を生み出すことは十分可能であると結論づけている。

東電はこのように当然計算に入れるべき供給力を隠しながら、電力は足りないと言ってきた訳だ。

そして、自己の発電能力をできるだけごまかして少なく見積もることは、東電だけでなく全国の電力会社で行われている。このごまかしには、国も荷担しており、4月26日には政府の「需給検証委員会」が揚水発電の積み上げは期待できないという”意見”で一致したと報じられている。

政官民マスコミそろってのこうしたウソとごまかしに、だまされまい。

 

関電・大飯原発3,4号機を廻り、14日に政府の無謀な再稼動要請を受けた福井県では、16日、県原子力安全専門委員会が開かれた。
2機が東電福島原発事故を教訓にした新たな安全基準を満たしていると説明する経産省原子力安全・保安院に対し「過酷事故対策が先送りされており、再稼働されるべきでない」などと批判が続出。知事や立地自治体首長らの再稼動願望をよそに、再稼動へのハードルは高くなって来ている。

福井県は事故前の福島同様、年120億にも及ぶ原発関連交付金等、原発収入に依存する体質が染み付いており、おおい町の時岡忍町長を筆頭に再稼動を待ち望む首長や議員が多い。西川県知事も発言の端々に早期再稼動への強い願望がにじみ出る。

国は福井に再稼動を要請するに当たり、新たな安全基準をわずか2日ででっち上げるなど、常識では考えられないずさんな姿勢で臨んでいる。国がもう少し”慎重”に事を運んでいたら、すんなりと再稼動が受け入れられてしまったかもしれない福島県やおおい町だが、この政府の対応で再稼動はより困難になった。

関連記事
東京新聞 2012.4.16  
NHK 2012.4.16

 

これまでたくさん時間があったのになぜわずか二日で暫定新基準をでっち上げるようなマネをするのでしょうか?
担当大臣の枝野氏も暫定基準を作るという直前に、わざわざ「現時点では再稼働に反対だ」とか、福井県に加え京都府の山田啓二、滋賀県の嘉田由紀子両知事の理解が前提になるとか言うのでしょうか?
再稼働するつもりなら、なぜわざわざ物議を醸すような発言をする?
しかも数日後にはあいまいな言い回しで前言を翻す印象を与えている。

わざわざ自治体に不信感を持たせ、民意も逆撫でするようなやり方です。
あまりにドタバタ、支離滅裂で、とても真剣にやってるように思えないのです。
どーにも腑に落ちません。

もし私が再稼働の担当者なら、当然、もう少し”上手”にやるでしょう。

考えられることは次の三つでしょうか・・・
①ほんとにほんとにマジなんだけど、あまりに無能者ばかりでまともな戦略が立てられない。
②何らかの理由で表立って反対できないので、再稼働をするフリをしながらわざと稚拙な方法で失敗に導こうとしている。
③政府内で再稼働派と慎重派が対立していて熾烈なバトルを繰り広げている・・・

①なら再稼働してくるでしょう。でもこんな無策で泥縄な段取りでうまくいくのかな?まあ、それほど政府が低レベルなら、ここからは国民の出番ということでむしろ喜ぶべきかもしれないですね。日本を作り変えるチャンスだ。
あんまり政府がご立派で、隙がなくて、手練手管の海千山千で超手ごわいよりは、ずーっといいよーな気がします。

②というのは、例えば”ムラ”の利権の縛りがあまりに強大で表立って逆らえないというような場合です。実はこの可能性はあってもおかしくないと思ってます。みんな献金もらってたり、業界やそっち系の労組が支持母体だったり、スネに傷があってマスコミには逆らえなかったりする訳だからね。
そうやって、圧力かけられつつも、なんとか稼働させまいと、わざとぐちゃぐちゃの段取りで突っ込みどころをあちこちに用意しつつ進めてるのかな、と・・・ どうか首長さんお怒りになって、首を縦に振らないでくださいと願いながら。
これは私の希望的観測がたくさん入っているのですが、そうとでも思わないと理解できないほどの段取りの悪さではあります。

③もありえますね・・・その場合これからどうなるかは予断を許しません。

私としては②の可能性に一縷の望みをかけている今日このごろです。

 

テレ朝 モーニングバード 2012.4.6 13分

20120406 2日間で作った即席の安全基準 投稿者 PMG5

 

国内にある54機の原発のうち、稼働しているのが北海道泊原発の1機のみとなった現在、「原発再稼働」が非常に注目されている。

福島第一原発のレベル7というシビアアクシデントの後、昨年6月に当時の経産相である海江田万里が定期点検の終わった原発の再稼働を即す「安全宣言」を出したが、翌7月の国会で当時の首相である管直人が「原発の再稼働にはストレステストが必用」と発言し、広く社会に知られるようになったストレステスト。

このストレステストが原発の再稼働に待ったをかけている状態であり、経産省は「発電用原子炉施設の安全性に関する総合的評価(いわゆるストレステスト)に係る意見聴取会」と称し、関西電力大飯原発3号機、4号機についての会議を繰り返している。

→ 

しかし、上記の傍聴会では、傍聴者を排除するなど問題が起きている。

 

そんな中、原発再稼働反対の抗議行動として、東京・大阪で同時に抗議行動が起こされる。
呼びかけは首都圏反原発連合有志、4月6日の金曜日18時より、場所は東京は首相官邸前(国会記者会館前、国会議事堂前駅3番出口出てすぐ)で、大阪は同時刻に関西電力本社となっている。

以下にTwitterで集まった個人有志による反原発デモであるTWITNONUKESのブログに掲載されている呼びかけ文を転載する。

 

—-以下転載————————–

 

2012年4月2日月曜日

 

4.6原発再稼働許すな!首相官邸前&関電本社前抗議/緊急拡散ツイートキャンペーン

4/3(火)、野田首相、枝野経産相、細野原発担当相、藤村官房長官による関係閣僚会合が開かれ、大飯原発再稼働に関して政治判断が下される予定となっています。
もしこの会合で再稼働にGOサインが出れば、あとは地元の同意を得るのみで、大飯原発の再稼動が進んでしまいます。
野田首相に対し、多くの人々の原発反対、再稼働反対の声を伝える為、首都圏反原発連合有志による呼びかけで、4/6(金)18時より首相官邸前で緊急抗議行動を行います。
また、大阪でも、同日18時より関西電力本社前にて個人の呼びかけによる原発再稼働反対の抗議行動が行われます。
是非、多くの皆様のご参加をお願いします!

 

東京:
【日時】4/6(金)18時~
【名称】4.6緊急!原発再稼働許すな!首相官邸前抗議
【場所】首相官邸前(国会記者会館前、国会議事堂前駅3番出口出てすぐ)
【呼びかけ】首都圏反原発連合有志

大阪:

【日時】4/6(金)18時〜
【場所】関西電力本社前

※反原発・脱原発というテーマと関係のない特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等はなるべくご遠慮ください。
 

 関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の再稼働をめぐり、枝野幸男経済産業相は2日の参院予算委員会で「現時点では再稼働に反対だ」と明言した。
さらに、大飯原発立地の福井県に加え、京都府の山田啓二、滋賀県の嘉田由紀子両知事の理解が前提になるとの認識も示した。両知事は再稼働には慎重・反対の意向で説得は困難とみられる。

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枝野氏「大飯原発再稼働、現時点では反対」 首相、3日に閣僚協議 産経新聞 2012.4. 3


首相、大飯原発再稼働3日に協議 京都、滋賀の理解前提と枝野氏 東京新聞 2012.4. 3

 

10分

20120321 大飯原発“再稼働”は認めない 投稿者 PMG5

 

NHKによると、

大飯原発のストレステスト(一次評価)結果を「検証」してきたとされる、国の原子力安全委員会は3月23日、その評価を発表する。
「福島第一原発を襲ったような地震や津波が来ても深刻な事故には至らない対策が取られている」とする、保安院の評価を受けいれ、「関西電力が福島第一原発の事故後に行った緊急の津波対策の効果を示せたことは、重要なステップだ」として、一定の評価をする方針。

国はこの評価を「判断材料」として、再稼働に向けての動きを加速する段取りだろう。

元情報は  2012.3.23

 

夕刊フジより

大阪市の橋下徹市長は政府が進めようとしている福井原発3,4号機の再稼動をけん制

《橋下氏は会見で、福島原発事故時の政府対応のまずさが露呈した中で、新たな危機管理体制の構築なしに再稼働するのは「あり得ない政治判断」とし、「政府のストレステストがまず必要だ」と述べた。

元記事は 「橋下市長、原発再稼働で首相恫喝!「政権もたない」」 Zakzak 2012.3.17

 

読売新聞が実施した原発立地首長へのアンケート調査によると、定期点検などで停止している原発を廻り、国が再稼動可能と判断した場合「尊重する」と4自治体が解答しているという。
ただし、《現時点で地元に立地する原発の再稼働を認めるかどうかは、市町村長17人(福島県を除く)のうち「早期に認める」はゼロ、「条件付きで認める」が7人。「保留・その他」が9人、反対が1人。首長の多くが態度を明確にせず、慎重に判断する姿勢を示したとみられる。》
元記事は 読売新聞 2012.3.18 

 

2012年3月9日

NHKニュースによると、スイスの行政裁判所は、運転開始から40年になる首都近郊のミューレベルク原発について、耐震性などに問題があるとそて来年2013年6月までに運転を停止するように電力会社に命じる判決を言い渡した。

ミューレベルク原発は2010年に無期限の運転許可を認められていたが、地元の反原発団体が反発し、運転停止を求めていたという状況がある。

またスイスは東京電力福島第一原発の事故を受けて、「脱原発」へと方針を転換しており、2034年までに国内にある4つの原発すげてを順次廃炉にする方針が決まっている。

→ 元記事 NHKニュース スイス 原発の運転停止命じる

<関連記事>
→ スイスも脱原発へ、2034年までに全廃

 

東京新聞  2012.3.14

 先に結論ありき。一見、慎重に検討するふりを装いながら、実は結論はとっくに決まっている。そんな日本政治の悪弊が、またもや原発再稼働問題で繰り返されようとしている。

 野田佳彦首相は東日本大震災から一年の記者会見で再稼働を判断する手順について、こう説明した。

 まず首相と藤村修官房長官、枝野幸男経済産業相、細野豪志原発事故担当相の四人は原子力安全委員会が実施する安全評価(ストレステスト)の妥当性と地元の理解をどう進めていくかを確認する。

 そのうえで「政府を挙げて地元に説明し理解を得なければならず、私も先頭に立たなければならない」という。つまりテストの結果を首相たちが妥当と判断して、それを根拠に「だから再稼働を認めてください、と地元を説得しますよ」という話ではないのか。

 初めから再稼働の結論が決まっているのだ。それならなぜテストをするのか。「安全かどうか分からないから試験する」のがテストであるはずだ。それを結果が出る前から首相自ら再稼働に向けて説得に乗り出す、と宣言している。

 こんな茶番劇を許してきたことが原発事故を引き起こした遠因である。科学的判断よりも政治的判断を優先しているのだ。それとも首相はテスト結果を「妥当でない。だから再稼働を認めない」という結論を出す可能性があるというのだろうか。 (長谷川幸洋)

この記事は 東京新聞  2012.3.14

 

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