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放射能汚染の時代を生きる~京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち~

10月 31st, 2011 | Posted by nanohana in 未分類

MBS 2011.10.23 50分

技術先進国の日本では、決して起こることはないとされてきた原子力発電所の重大事故。3月11日の東京電力福島第一原発の事故で、それが現実のものとなった。京都大学原子炉実験所の助教、小出裕章さんと今中哲二さんは、原子力の専門家の立場で、重大事故の危険に警告を発してきた。原子力の世界で“異端”視されてきた彼らはいま、何を思い「フクシマ」後の世界をどのように生きようとしているのかを追う。

編集後記
東日本大震災にともなう福島第一原発の事故が起きて、7か月以上になります。
取材を始めたきかっけは、2008年3月の洞爺湖サミットで「原子力はCO2を出さない、未来のエネルギー」と宣言に盛り込まれたことに私自身が、違和感を持ったからです。そんな折、京大原子炉実験所の研究者たちと会い、アカデミズムという組織の中で生きながらも、信念を貫き通す姿に共感を覚えました。
そして2008年10月に「なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・“異端”の研究者たち」と題して、研究者たちを追った番組を制作しました。日本のエネルギー政策の中でも、とりわけ原子力発電のありかたについて問題を提起したことで、番組の役目は一応終わったはずでしたが、そうはなりませんでした。言うまでもなく3.11で、世界が一変したからです。
2008年の番組では、放送が原発問題についての議論のきっかけになればとの思いで制作しましたが、3.11後のいま、今後の日本のエルギー政策をどう展望していくかについては議論百出で、隔世の感があります。しかし、それは福島県をはじめとする地域の甚大な被害とひきかえであることを思うと、辛くやりきれません。
番組の主人公の一人、京大原子炉実験所の今中哲二さんは言います。
「サイエンスの土俵で出来ることは限られている。故郷を追われ、別の場所に移り住まなければならなくなった人々の怒りや悲しみは、サイエンスですくい上げることはできない」。まさに真理でしょうが、逆説的に言うと「自分はサイエンスの土俵で出来る限りのことをやる」というマニフェストとも解釈できるでしょう。
事態は現在進行形で、まだまだ予断を許しません。セシウム137の半減期は30年、闘いはこれからも長期にわたります。
いまの思いを今中さん風に言えば「自分はドキュメンタリーの土俵で出来る限りのことをやる」。状況が終わらない限り、取材も終わってはいけないと考えています。

 

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