2011.10.29
「果てしなき除染 〜南相馬市からの報告〜」が完成した。
がつんと手応えのある番組に仕上がったと自負しているし、
ぜひ見ていただきたいと思うのだが、
作った人間としては複雑な思いがあるのが正直なところだ。
番組では、
福島県南相馬市の
いまなお高い放射線量が検出されている地域で、
不安を抱えながら暮らしている人たちの姿を記録している。
取材者として、彼らの置かれた状況に心を痛め、怒りもする。
しかし、ぼくはそこに住んでいるわけではない。
言わば「逃げ場がある」のだ。
そして、取材すれば取材するほど、
この問題には「出口がない」ことが見えてくる。
明日への展望がないなか不安に囚われる人たちを描けば、
それは「不安を煽る」ことになるかもしれないと自問する。
しかし、やっぱり伝えるべきだと思い直す。
最近、放射能がもたらす健康被害よりも、
不安な精神状態が及ぼす被害の方が大きいという話を聞く。
たぶん、事実はそうなのだろう、と思う。
思いながらも、その不安をもたらしたのは誰だ、と考える。
著書「医療崩壊」で知られる小松秀樹先生が、
「100ミリシーベルト以下は安全」と発言した
福島県立医大の山下俊一氏を擁護した文章を読んだ。
山下発言の当否はともかく、
(もとよりぼくに疫学的に検討する力はない)
小松氏の発言には重大な事実誤認があるように思う。
つまり、世を覆う不安感の一因を
「マスコミによる煽り」だとしたことだ。
…本当にそうか?
原発事故のあとマスコミは大袈裟に不安を煽ったのか?
記憶を呼び起こしてほしい、事実はまるで逆だったはずだ。
原発事故の後に専ら流布されたのは、
「安全だ」「ただちに健康に影響はない」と繰り返す、
政府による“大本営発表”ではなかっただろうか。
マスコミはその“大本営発表”を垂れ流したのではなかったか。
「ETV特集」の尊敬すべき同僚たちが
20kmラインに取り残された人たちの現実を伝えるまで、
ぼくたちは、現地で本当に何が起こっているかを、
ほとんど知らなかったはずである。
あの戦争の時代、
楽観的な大本営発表が繰り返されたにも拘らず、
少なからぬ日本人が
「この戦争は負ける」と気づいていたと聞く。
ましてやメディアが多様化の一途をたどっているいま、
「原発事故を起きたが、安全だ」などと誰が信じるのか。
事実、事態は政府の言明を遥かに超えてエスカレートした。
政府が「安全」を連呼すればするほど、
“逆・狼少年効果”で誰も信じなくなったはずである。
(ぼく自身も二日目には政府発表を一切信じなくなっていた。)
そして、その後の政府の対応も不信感を増幅するだけだった。
事故後に、
「年間1ミリシーベルト以下」だった一般人の被曝許容量を
一気に20ミリシーベルトに引き上げたなど、言語道断である。
20ミリシーベルトが科学的に妥当かどうかの話ではない。
事態を追認して規制値を変えたのでは信頼を失う。
一種の後出しジャンケンであり、
自分が負けそうになるとルールを変える駄々っ子の所業だ。
その政府が、
如何に「安全」を強弁したところで、誰も信じるわけがない。
つまり、いまや、
「政府がいっても信じてもらえない」のではなく、
「政府がいうからこそ信じられない」というのが現実である。
国民の不安心理が募るのは当然のことではないか。
山下氏はたぶん誠実な一種の学者バカだろうと推測するが、
結果として免罪符の役割を背負わせられているのではないか。
小松氏の発言もまた、
不安感の所以、つまりはコトの本質を取り違えていると思う。
最大の問題は、
原発の推進に当たってきた人たちの無責任である。
彼らが終始責任回避しようとしたことが事故処理を誤らせた。
問題を解き明かしていくためには、
番組にご出演いただいている児玉龍彦東大教授の
次の言葉に立ち戻るべきだと思う。
(この言葉は番組の中では使っていないのだが…)
「年間線量1ミリシーベルト以上の人は避難する権利がある。
国と東電はそれを保証する義務がある」
誤解しないでいただきたいのだが、
児玉先生は、
「1ミリシーベルト以上は危険」だと言っているのではない。
危険であるか、ないかは、
住民自身の判断に任せるべきだというのである。
(当然、判断のためのセカンドオピニオンが求められる。)
例え科学的には「安全」である可能性が強いとしても、
不安を感じるなら「避難する権利」は認めよう。
この考え方は、暗黙のうちに、
住民が「原状回復を求める権利」を前提としている。
当然のことではないか。
自ら責なくして不安のどん底に落とされた人々が、
3.11以前に戻すよう求めることに何の無理があろう。
しかし、現実的には原状回復は難しい。
少なくともすぐには不可能だ。
そういう意味では、
取り返しのつかないことが起きてしまったのである。
であれば、国と東電は国民に謝罪するしかない。
ただ頭を下げればいい、というものではない。
「原発は安全だ、重大事故など起こり得ない」と言い募り、
原発を推進してきた人たちは責任をとって退場すべきだ。
政治家、経産省の幹部、学者、言論人…。
事後処理を誤った原子力安全委員会、
原子力安全・保安院の幹部は、当然、更迭すべきだろう。
そして、東電は、当然ながら破綻させるしかない。
起きてはならないことが起きたのに
「責任」を誰も取らないという現状は明らかに異常だ。
そして、原子力を推進してきた人たちの責任回避が、
放射能の影響はそれほどでもないのに
不安を抱く方が悪いと言わんばかりの論調となって、
きょうも現地の人たちを苦しめている。
ぼくはそこに怒りながら番組を作った。
だが、繰り返すが、ぼくには解決の道筋は見えていない。
「除染」は、ややもすればざるで水を掬うような話になる。
本当にもう一度この土地に住めるのか、
問い直さざるを得ないときが案外早くくるのではないか。
37 コメント:
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「年間線量1ミリシーベルト以上の人は避難する権利がある。
国と東電はそれを保証する義務がある」という言葉を
番組がカットしてしまう(せざるを得ない)事にこそ、
問題の本質があると思うのですが。
国と東電はそれを保証する義務がある」って言葉はどうして使われなかったのでしょうか?
あの番組内で、その言葉の持つ意味は大きいと思います。
こうやって、書いていただいて知ることが出来る人間と、そうではない人間では、また 番組の受け取り方が違うト思います。
除染作業中に、マスクもせずに 落ち葉や腐葉土を集めてらした森林協会の男性に、
大丈夫ですか? 被曝しますよとの声はあがりませんでしたか?
番組クルーの方からでも、それを指導している方でも
誰でもいいんです。
危険なことくらい 子どもだって解ってる事だとは思います。
でも、それでも、声をかけてもらいたい。
私たちが子どもを大切に思うように
子どもは親を大切に思います。大人だから少々の事は大丈夫。ではないですよね。
そんな想いで見ていました。
除染をしなくては住めないだろう土地に
子どもたちや 赤ちゃんが居る・・・・
除染と並行して生活が成り立っている。 といのは
除染の有効性が確実である 数日間、我慢すれば・・・でだけ成り立つのでないでしょうか?
除染をする間だけでも、避難をさせる。
除染が終わって、その経過を見て 住めるか住めないかを決める。
それが 何故・・・出来ないのかが 私には理解できません。
国と東電はそれを保証する義務がある」という言葉をなぜカットしたんですか??
このコメントをカットした意図をお伺いしたいです。
コメントのカットが明記されているますが、編集権を使ったことが明白です。
放送局に、編集権を主張する権利があると言うことは、すなわちNHKが、この場面を意図的にカットしたということが明白です。
従って、NHKの隠蔽体質は依然として極めて責任が重いです。
今、南相馬市が置かれている現状を理解する上ではよかったと思いますが、やはり児玉先生の避難に関する発言がカットされたこ とは問題に思います。当然ご存知のこととは思いますが、チェルノブイリでは、住民自身が避難をするかどうかを決定する避難権利区域というものが設定されま した。福島でも避難権利区域の設定を求めている人もいるようです。こうしたことについても報道して欲しかったと思います。
それともカットを条件にして企画が通ったのかな?
でもそれじゃ”自主規制”だ!
誰のための報道なのか。
先ほどE特を拝見しました。重要な問題提起、福島と原発問題についてのまともな報道が少ない中で大変貴重な番組だったと思います。
ですが、不満も残りました。
児玉氏を主人公にしている以上しばりがあるのですが、
「(避難ではなく)除染をせよ」というメッセージしか聞こえてこないのです。
チェルノブイリの経験や低線量被曝•内部被曝の危険性を訴える専門家(他ならぬ児玉氏もそうですが)の研究や意見から、今の福島に、とりわけ子どもが長期とどまることは危険性が高い、少なくとも楽観視はできないはずです。
児玉氏自身が「一刻を争う」と番組中でも言ってました。
ならば、そんなに危険な状況で、かつ除染が少なくともすぐには年1ミリ以下までにできないのであれば、今やるべきことは「避難」ではないでしょうか。
福 島の意識の高い人と私のように避難支援をしている人たちはみんなそう思っています。除染にトライするのもいいが、せめてその間に避難をと。そうしたメッ セージが少しでも垣間見えるかと思ったのですが、それは感じられなかったのが残念です。「年間線量1ミリシーベルト以上の人は避難する権利がある。 国と東電はそれを保証する義務がある」の発言は、なぜ入らなかったのでしょうか。入っていれば、大きく違ったと思います。これはおっしゃるように1ミリ以 上なら即危険かどうかではなく、元々の公衆の被曝限度が年1ミリシーベルトであり(今も法律は有効)、20ミリというのが後出しジャンケンの基準だからで す。その問題は今後追究してほしいです。
ともあれ、ETVはNHKの唯一最後の良心です。
これからも、改善しながら取材を続けてください。
お 願いとして、目立つ児玉氏のような方ばかりではなく、神戸大の山内教授のように地道に福島市の高線量地域の測定をして除染の不可能性を指摘している方や、 その地域「渡利地区」で苦悩している住民の事を取り上げてほしいと思います。20ミリという政府の暫定避難基準が、避難に関してどれだけ深刻な影響を福島 県民に及ぼしているか焦点を当ててほしいです。健闘を祈ります。応援しています。
自分の身を危険に晒す、そのすんでのところでやっているということを、肌で感じます。
まずは会社の中から変えたい、けれど声を上げられない。
そういう人たちが日本全国のあちこちの会社で今日もそ知らぬ顔をして仕事に励んでいるふりをしています。
本当に、データが隠し通せなくなるまで国民はこのゲームを続けさせられるのだろうか?
目を覚ます機会は幾らでも与えられているはずなのに・・・
児玉先生のコメントが、ディレクターさんの意図に恐らくは反してカットされたのだということ、それがNHKで行なわれているということの意味は極めて重大です。
私自身、このコメントを実名で出せないことに自らの卑怯さを禁じえませんが、敢えてここに足跡を残させてもらいます。
今一度、全ての経緯を時系列で振り返ろう!
放射能拡散全てのデータをメディアが一体となって整理し、秩序だったやり方での情報提供に努めよう!
情報難民が出ないように全国津々浦々まで正しい情報を届ける努力をしよう!
そして、悪者は退場し正しい人たちが世を治めるという当たり前の世の中を作ろう!
もう、見るべき番組がありません。
今一度今回のETV特集とここでの告白を基にどうするか考える必要が有るのだと思います。
※国と東電はそれを保証する義務がある。という言葉を
番組がカットしてしまう(せざるを得ない)事にこそ、
※問題の本質があると思うのですが。
※何故カットされるに至ったのですか? お答えください。
我々南相馬市民の人生、命を弄ぶのはやめなさい。
今回は 見逃さずに しっかり 見ました。
原発問題の中で これだけ わかりやすく
最も重要なことを 公開している姿勢に驚きます。
これは 仙台局発という 後には下がれない地盤も
あったんじゃないかと お察しいたしますよ。
数値の小さい 大きいという 引き線ではなくて・・・
総量の問題から 考えないと やがてどこかに溜まり
とんでもない ホットポイントが生まれる状態。
それを踏まえていかないと 平和に安心しては住めない。
99歳のおじいちゃんと馬が とても印象に残ります。
それと ナスはもらっていくよという 映像!
リアルな こーゆーシーンにジーンとするのですよ。
どこを捉えるかは見る側に委ねられるわけで・・
お茶の間では・・・現場のやりきれないNEWSよりも
明るく希望を持ったNEWSの比率がますます
増えてますから・・・
今となっては スピーディーに行かなかった 子供たちの
避難が気がかりですが・・・ この点は 朝日新聞で
(原発事故後に 原発推進の全面広告?を中曽根康弘が
自ら行った あの 朝日新聞ですが・・)
連載している 「プロメテウスの罠」で ちょうど今
検証中です。 (参考までに)
国は 除染した土は 県外へと 発表しましたが・・・
大文字で焼く 安全な値の薪です非難轟々なのですから
これは 終わりなき戦いになりますでしょう。
ならば 東電を早めに処罰処置して国がリードせねば
対応が遅くなるのは確実だなと思ってます。
かなり脱線しましたが・・ 素晴らしい番組でしたよ。
ナレーションの加減が絶妙!
制作者として感謝の念に耐えません。
ただ、ぼくが不用意な書き方をしたのでしょうか、
誤解をされている方も一部にいらっしゃるようなので、捕捉しておきます。
児玉先生の件の発言をカットしたのは、
現場の制作者としての私の判断で、
NHKという組織には何の関係もありません。
第一稿の試写からこの言葉は入っていなかったので、
上層部の圧力なんてかかりようもなかったというのが事実です。
では、なぜカットしたのか、ということになりますが、
正直にいって「自主規制」したつもりは毛頭ありません。
「自主規制」するくらいだったら、始めっからこんな番組作りませんからw
こーいちさんがお書きになっているように、
数十時間の取材ビデオのを1時間に編集するなかで
どうしても使い切れなかったとしかいいようがありません。
涙を飲んで切る、というのは私たち制作現場では日常茶飯事です。
どんなに使いたい言葉であっても、
前後と切り離して一言だけつないだのでは作為が見え過ぎ説得力を持ちません。
だから私は、インタビューはできるだけ編集点を少なくして、
言葉の自然な流れを重視してつなぐことを編集方針としています。
結果として、この言葉には後ろ髪を引かれながらも、
番組のなかで紹介した
児玉さんのほかの言葉の方を優先すべきだ、
その方がメッセージが明確になると判断しました。
その判断が間違いだというお考えも当然あろうかと思いますが、
それは専ら制作者としての私が責を負うべき問題ですので、
念のため申し添えておきます。
これからも良い番組づくりを期待しています
現場に近い筆者から、私たちに、大切だと思っておられることが、きちっと伝えられていると思います。
また、明記されていることだけでなく、行間にも参考になる内容が述べられていて、筆者のお気持ちが感じられます。
ありがとうございます。
今後もお仕事でのご活躍を期待しています。
わざと遅らせてきたかのように思える「放射線が人体に与える影響に」ついての研究。科学者たちの意見はまったく統一されておらず、専門家ではない我々はどの意見を信じることも”本来”はできないはずです。
見解に概ねは納得できますし、不安を煽るという理由だと存じながらも、児玉教授のコメントをカットしたことには違和感が残ります。安全か危険かは ”誰も分かっていない” ということをはっきりと放送していただきたいです。
チェ ルノブイリの事故について、当時のソ連が今の日本政府と同様、情報を操作し隠蔽したのは周知の事実でしょう。実際の被害がどの程度であったのか、正確なこ とは知る由がないのです。けれどもはっきりとしているのは、大小を問わず、放射線による被害者がゼロではなかったということだけです….
あなたも変なバイアス掛かってて残念です。
推進派が、推進派が と言ったところで何かが解決するんでしょうか?
「危険だとは言ってない」という文言とその後の文章が大いに矛盾している気がします。 詭弁だと思います。
正直に言ったらどうですか?
危険だと思ってるんでしょ?避難しない人はおかしいと思ってるんでしょ?
こんな詭弁と矛盾だらけの文章、必要無いと思います。
この文章を書いてる事自体も無責任だと思います。
でも「アリの一穴」、大きく変えて行くのは一人の存在から。どうかぶれずに誠実なる報道をこれからも。良心あるディレクターさんの存在に、少し安堵した次第です。
わたしにはこんな状態になってまで推進派が優勝することが信じられませんが、多くの日本人は退場してほしいなんて思ってないのではと、絶望的な気分になっています。
ご自身で「次の言葉に立ち戻るべきだと思う。」と仰るくらい大切な言葉でしょう?
これでは「マスゴミ」の具体例ではないですか・・・。
>次の言葉に立ち戻るべきだと思う。
>(この言葉は番組の中では使っていないのだが…)
>
>「年間線量1ミリシーベルト以上の人は避難する権利がある。
>国と東電はそれを保証する義務がある」
それは児玉先生の番組になっちゃうじゃん。
児玉先生だけが判断基準なの?
番組を通して自力で「自分で判断しよう」という結論が
導き出せない人たちばかりなの?
長い演説を入れろって話じゃなくて、ほんの数秒、一番大事なことばですからね。