新潟日報2011年6月2日
東京電力福島第1原発事故の原因解明に向け来日している国際原子力機関(IAEA)の調査団が1日、日本政府に報告書の素案を提出した。
調査団は20~24日にウィーンで開かれる閣僚級会合で調査結果を詳細に報告する。
素案では、日本が津波の危険性を過小評価していたと強調、原子力安全の規制当局が独立性を保つことなどが必要だとしている。
目新しさはなく、従来指摘されてきたことの繰り返しとなったが、ここまでは妥当である。
政府も東電も真摯(しんし)に受け止め、今後の対策に生かしていかねばならない。とりわけ原子力安全・保安院の経済産業省からの分離独立と原子力安全委員会の見直しは急務である。
しかし、看過できないのは、日本政府の対応に関するくだりである。「避難地域の対応を含めて、組織化されている」と賛辞を贈っているのだ。
日本政府は、どこに指揮官がいるか分からないような後手後手の事故対応を行い、避難指示や情報提供をめぐって迷走した。
日本の情報提供不足に不満を示し、情報の質と量の改善を求めていたのはIAEAだったはずである。
こうした日本政府の対応ぶりを、高く評価するとはどういうことか。
菅直人首相は国会で、情報混乱の不手際を認め、「痛切に反省し、おわびしたい」と謝罪している。にもかかわらずIAEAからの「お墨付き」だ。首相は赤面するほかなかろう。
同時に、IAEA自体の信頼性にも大きな疑問符が付きかねない。
IAEAは、核の軍事利用が拡散しないよう監視する「核の番人」が本来の役目である。国際的な査察活動で知られている。
ところが、原発事故を独自に調査監督したり、指示命令したりする法的権限は持っていない。
天野之弥事務局長は、福島原発事故後に開かれた緊急理事会で「原発の安全に対する責任は各国が負う。われわれは『原子力安全の番人』ではない」と語っているのだ。
これは天野氏の個人的見解ではない。IAEAの一貫した姿勢である。
今回の来日調査も、日本政府や東電からの聞き取りが主だった。故に日本政府への大甘な評価が出てきても驚くに値しない。IAEAという組織の限界を露呈したにすぎない。
忘れてならないのは、IAEAのもう一つの大きな役割が「原子力の平和利用の推進」であるという点だ。
言ってみれば、IAEAも世界における「原子力ムラ」の住人である。評価をうのみにはできまい。
新潟日報2011年6月2日
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