望郷の思い 県外被災者
9月 15th, 2011 | Posted by in 1 福島を救え東京新聞 2011年9月15日 3.11から 被災 その後<4>
「これが帰りたいと願う故郷です」
市原市で避難生活を送る稲葉由美子さん(54)はこう言って、咲き誇る満開の桜並木の写真を見せてくれた。
稲葉さんは、福島第一原発から十キロ圏内の福島県富岡町から避難してきた。満開の桜はもちろん懐かしい富岡町の風景。花見は家族みんなで、どんちゃん騒ぎをするのが恒例だった。震災直後に市原市に避難したため、今年は故郷の桜も目にしていない。
「最初は一カ月くらいで帰れると思っていた。それが一年になり、今ではそれにゼロが一つ増えた」。「あの日」から半年たったが、思いが募る故郷との距離は少し遠くなったようだ。
夫(53)は原発関連の仕事で全国各地を転勤しており、今は茨城県にいる。稲葉さんは、市を通じて紹介してもらった広さ十一畳ほどのアパートの一室で一人暮らしをしている。
富岡で近所に住んでいた息子家族は仕事の関係で岡山へ避難し、かわいがっていた愛犬もアパートで飼うことができないため、宮城県石巻市の夫の実家へ預けた。市原に来た当初は不安と寂しさから、家でずっと泣いてばかりいたという。
だが、いまだライフラインも復旧せず、放射能による土壌汚染も深刻な故郷の現状を知るにつれ、次第にあきらめの気持ちが強くなった。「涙はもう枯れた。当面は帰れなくてもいい。とにかくいつ帰ることができるのか、はっきりさせてほしい」と訴える。
稲葉さんが市原市に来てから友人になった上野富由子さん(43)も、同じような思いでいる。
福島県浪江町から家族七人で避難してきたが、「子どものことを考えると、市原で当面暮らすのも選択肢の一つ。だけど、今の状態では何をするにもためらいがある」。
上野さんは中学生の長男(12)、小学生の長女(11)、次男(9つ)を持ち、高齢の実父母も一緒のアパートで暮らす。
原発関連の仕事をする夫(43)はその後、青森県内に仕事に出た。今はその給料と、東京電力の仮払金などで家族の生活をやりくりする日々が続く。
市の宅建協会で紹介してもらったアパートの家賃は大家の好意で半額となっているが、自宅の住宅ローンも払い続けているため、貯金は減る一方だ。
◇ ◇
市原市は震災当初、市民から空き家を募集したり、市営住宅を無償提供するなどし、できるだけ被災者の経済的負担が軽くなるようにして受け入れを進めてきた。
だが、最近では被災者のニーズも変化してきた。市住宅課の担当者は「避難生活の長期化を見すえ、よりよい住環境や負担が少ない住宅を求める被災者が増えてきた」と話す。
県では、県外からの被災者の受け入れ態勢を充実するため、応急の仮設住宅として、民間住宅の借り上げを進めている。市原市も九月の補正予算案で、住宅五十戸が借り上げ可能な予算を計上した。家賃などは無料だが、無償期間は今のところ二年間となっている。
上野さんが現在暮らすアパートは一年契約で、来年四月からは額面通りの家賃を払わなければならない。上野さんは「契約が切れた後は福島に戻るのか、市原に残るのか悩むと思う。ただ、いつ浪江町に戻れるのか分からないことには、何も決めることができない」。家族の将来が描けないことが歯がゆそうだった。 (深世古峻一)
=終わり
<県外からの被災者数> 被災者が任意に居住地を登録する全国避難者情報システムを通じ、県が把握する県外被災者数は4月28日時点で366人だったが、9月9日現在では3808人となった。このうち3205人(84%)を福島県からの被災者が占めている。次いで宮城県305人(8%)、岩手県154人(4%)となっている。
福島県から県内で避難生活を送る人は8月31日現在で、新潟、埼玉、東京、山形の各都県に次いで全国5番目に多い。
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