ふくしま「I-e」ごはん。9月 9日
自主避難を選択したということ。
線量の高い場所から離れたことで、
それで普通の暮らしに戻るかといえばそうではありません。
福島を離れても、解決したことにはなりません。
現状、どういったことが起こっているのか、お話ししたいと思います。
現在、山形市には約4500人、1000世帯以上の福島県民が避難してきています。
米沢市、寒河江市、鶴岡市などにも、たくさんの方がいらっしゃるそうです。
山形県は、福島県の隣県のため、最も福島市に近い米沢市に自主避難し、
ご主人がそこから車で通勤されるというパターンも多くあるそうです。
山形市には、南相馬市の市民サポートセンターも常駐しており、
福島第一原発から20km圏内の警戒区域、20~30km圏内の緊急時避難準備区域、
その中でも放射線量が年間20ミリシーベルトを超える計画的避難区域と
様々な方が避難されています。
南相馬市の自治体の方とお話させていただいたところ、
福島市・郡山市など中通り地区からの自主避難者とはかなり状況が違うことがわかってきました。
山形県と南相馬市との会議で、こんなことを言われたそうです。
山形県としての支援は避難区域として国が指定した南相馬市に対して行うものであり、
福島市、郡山市など指定を受けていない市町村の方に対しては山形県民と同等に扱う、と。
つまり、国が指定した地域に住んでいない私たちに対しては支援しないということだそうです。
今現在、山形県からして頂いている支援は二つ、あります。
・住宅の借り上げ、原則一年で最大二年まで延長可能。
・小・中学校給食費、教材費の一部助成。
そして、日本赤十字社からの支援。
冷蔵庫やテレビ、洗濯機などの大型家電セットを贈っていただける。
本当に、本当に、助かっています。ありがたいことです。
これがなければ、夫に家計を支えてもらっている我が家は
とても自主避難を選択できる経済状況ではありませんでしたから。
ということは、この支援が縮小されるんでしょうか…。
福島市、郡山市のお母さんたちは、今まで散々お金を使ってきました。
3.12以来、遠方に避難していた方もたくさんいます。
北海道や関東、沖縄まで…。そこでの旅費、食費、たくさんのものを散財しました。
福島に戻ってからは高圧洗浄機やガイガーカウンター、マスク…除染に係わるものを購入し、
安心を求めて遠くの食べ物を送料を払って購入して。
帽子や長そで、長靴に使い捨てのカッパ。
子どもを外で遊ばせるために高速道路やガソリンを使って頻繁に遠出し、
夏休みも外遊びさせるために様々なものを駆使して林間学校にやったりと
たくさんの方に助けていただくことはできても、山形市に落ち着くまで
100万円近く使った方もいらっしゃいます。
引越し費用もそうですし、物件を決めるまで、手続きをするための交通費やら
新生活を始めるに当たっての家具類やら何やら。
子どもの将来のための貯金までもを切り崩し、パパと離れて二重生活を送っているのです。
二重生活となれば、光熱費や通信費はもちろん別々。
パパさんが通ってもらうための交通費も捻出しなくてはなりません。
郡山市に住民票がおいてあるために、子どもの医療費も窓口で一時負担し、
わざわざ帰って市に申請しにゆき、戻ってくるのは3~4か月後。
予防注射もこちらでは受けられません。
これから冬になれば、子どもたちはますます病院に通う機会が増える。
こういったマニュアルすらないので、自分で全て問い合わせをして調べなくてはなりません。
山形市だったり、福島県だったり、郡山市だったり。
窓口がそれぞれ違って、たらいまわしにされることもしばしば。
では働けばよい、と思うのが普通の流れだと思います。
ですが、こちらに来ているのは小さい子どものいるお母さんたちばかりなのです。
私の通っている山形市避難者支援センターの遊技場では、
妊婦さんが小さな子どもを遊ばせる姿もたくさん見かけます。
そして、幼稚園に関して言えば、郡山市の相場より山形市の方が高く、
一人一か月当たり1万円ほど保育料が上乗せになります。
入園料や制服、運動着、通園バッグや教材費。
合わせると幼稚園に入れるためには一時金として10万円弱、かかります。
二重生活をするための費用も、おそらく今までの生活費+10万弱。
保育園に関して言えば、100人ほど待機児童がいるということ。
お金がないから、預けて働かなくてはならない。
働きたいけど保育料が高いから、フルタイムでしっかり働かないと手元に残らない。
しかしながら、幼い子どものいる母子家庭の妊婦さんやママさん。
しかもいつ福島に戻るかわからない人を、どの企業が喜んで雇用してくださるのか。
贅沢などしていないけれども、お金が続かなくて福島へ戻る人もたくさん出てきているそうです。
自主避難し続けたいけれど、できない、続かないのは、このような現状と
福島県が避難区域以外の自主避難者に対しての支援を全く考えていないことにあります。
「復興支援」と「自主避難」は、逆行するためです。
国が大丈夫だって言っているのに、勝手に逃げたんだから勝手にしなさいと言わんばかりです。
小さな子どもが、鼻血を出したりひどいクマが出たり、
土や花が安心して触れる公園もないというのに!
30km圏内の避難区域よりも放射線量のかなり高い地区にお住いの方だってたくさんいるのです。
そこに、子どもともう一度荷物をまとめて戻らなくてはならない。
これが、現実。
これが本当に21世紀の日本国内での出来事なんでしょうか。
戦時中みたいな話だと思いませんか?
お金がない。
子育てネットワークも、大切にしてきたコミュニティもない。
支えてくれる夫も近くにいない。
福島で半年という長い間ずっと放射線と戦ってきて、へとへとに疲れてしまったお母さんは子どもと一緒に避難という大きなリスクを選択し、安心するはずだったのがこうして孤立している。
うつ病になってしまった方すらいらっしゃいます。山形市に避難してきたお母さんだけじゃないんじゃないか。他の地域にいらっしゃる福島のお母さんたちも、似たような状況ではと思うのです。
何とかしなくちゃ。誰かがちゃんと、このことを話さなくっちゃ。
そう思っていた時に、YBC山形放送さんから取材の機会を頂き、
ニュースeveryという番組に昨日出させて頂きました。
(小坂アナウンサー、お世話になりました)
こちらに来てできた山形のお母さんたちに、ちょっとだけ想いが伝わりました。
そして、一緒に涙してくださいました。
何とかしなくちゃ。そうだよ、何とかしてゆこう。
みんなで気持ちを強く持って、想いを形に。
お母さんだからわかること、手を取り合ってできることがたくさんあるはずだから。
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