神戸新聞 9月5日
福島第1原発事故は数え切れないほどの家族から、当たり前の日常を奪った。東日本大震災から間もなく半年。震災直後に福島県郡山市を離れ、兵庫で2人の子どもを育てる女性に出会った。仕事を持つ夫は福島に残り、離れ離れのまま夏が過ぎた。せんないと分かっていても女性は思う。原発さえなければ、と。(鈴木久仁子)
【3月11日】
幼稚園バスが到着する寸前で地震。余震が止まらない。福島原発で全電源喪失
【3月12日】
避難のため子どもたちの荷造り開始
親せきを頼り、伊丹市内で暮らす石川実佳さん(37)は、スケジュール帳に半年近くの出来事を毎日つづっている。以前からメモする習慣はあったが、震災以降「後できっと役に立つ」とこれまで以上に書き留めている。栃木への避難を経て、伊丹に落ち着いたのは3月17日。福島県内で働く夫はそのままとんぼ返りした。
3歳の長男は幼稚園にすっかりなじみ、言葉の端々に関西弁がにじむ。避難時3カ月だった長女は寝返りができるようになりお座りして笑う。震災被災者の集いに参加した石川さんは、ゆったりした福島のイントネーションに触れ、たまらく古里が恋しくなった。
生まれ育った郡山は緑豊かな街であちこちに天然温泉がある。原発から60キロほど離れており、石川さんの両親は市内、夫の両親は隣の町で暮らしている。
県外へ自主避難する人は相次いでおり、友達は「子どもの姿はほとんど見られない」と教えてくれた。外出の際は長袖、長ズボンという。先月下旬、母親が石川さんの自宅周囲を計ると2・52マイクロシーベルト。神戸市で観測される放射線量の70倍以上の数値にため息が出た。
テレビニュースで古里を見かけた。小学校のころから通い思い出の詰まった市民プール。「使用禁止」の立て札が立っていた。公園は雑草が生い茂っていた。「今も現実が信じられない。夢の中にいるようなんです」
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ゴールデンウイークまで我慢すれば。最初はそう思っていた。夏が過ぎた今、見通しは立たない。飛行機が苦手な夫は、毎月のように5、6時間も掛け新幹線を乗り継いでやってくる。「パパに会えるんだ」と長男は前日からそわそわし、帰り際は泣いて離れようとしない。
郡山で再び子育てをしたい。でも汚染の現実と日常生活は折り合いが付くのだろうか。考えると、夜も眠れなくなる。
「『大丈夫だ』と言う専門家もいますが、10年20年先の子どもの健康については前例がないのに、信用できますか」
伊丹の暮らしが長引くほど、地元の友達に連絡するのがおっくうになっていく。古里を離れた側から「元気」「何しているの」と軽々しく言えない。原発事故の収束見通しが立たない今ならなおさらだ。
「福島を離れる人は皆『ごめんね』って謝るそうです。友達とも以前のように何気ない会話はできないかもしれません」
ふさぎこんでばかりもいられない。郡山では難しい子育てを楽しもう。そう思うようにしている。セミ取り、プール、花火…。母子で夏を満喫した。
一家がそろうのは、今月末に予定している温泉への家族旅行。驚かせようと、子どもたちには秘密にしている。
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