日経ビジネス
小田嶋 隆 2011年7月29日(金)
事故の第一報はツイッターのタイムラインで知った。
「中国の高速鉄道で脱線事故か」
というヘッドラインを見て、何人かが
「やっぱり」
「やると思ってました」
といった調子の、フライング気味の感想を書き込む。まだ緊迫感は無い。どこまでも凄惨なオスロの事件(オスロ市街と郊外の湖で起きた連続テロ事件:この 時点で80人以上の死者がカウントされていた)と比べて、中国の脱線事故は、この時点では、どちらかといえば牧歌的な出来事であるというふうに受けとめら れていたからだ。
「安心の中華クオリティー」
「底抜け脱線鉄道(笑)」
しかしながら、ほどなく、事故現場の写真が配信されると、タイムラインは、しばらくの間、微妙な静寂に支配される。おそらく、ツイッターにぶらさ がっている人々は、橋から転落した車両の写真を見て、事故の深刻さを認識した。でもって、失言を恐れるモードに突入したのだと思う。これはうかつなことは 言えない。間違っても冗談になんかできない。
「ああ……」
「これはひどい」
以下、断片的な、奥歯にもののはさまった感じのツイートが並ぶ。
2ちゃんねるを見に行くと、既にスレッドが立っている。ものすごいスピードで不謹慎な言葉が書きこまれている。しかも、メンバーの多くは事故にまつわるあれこれをひたすらに笑いに転化しようとしている。
本来なら、そうした「不謹慎なジョーク」のうちのいくつかを紹介して、ツイッターと匿名掲示板との間にある雰囲気の違いを明示したいところなのだ が、残念ながらそれはできない。不可能だ。匿名のジョークは文責のあるテキストとして掲載するには、あまりにも卑劣だからだ。誰も責任を取れない。という よりも、そもそも匿名には責任が無いのだ。
名前を持たない書き手は、不謹慎を恐れない。なにより彼らには慎むべき本体(具体的には「名前」に代表される社会的な立場)が無い。防衛に値する世評も持っていない。ということは、彼らはあらかじめ恥の無い世界に住んでいる。引用なんかできるはずがないではないか。
今回は、中国で起きた追突・脱線事故について書く。
といっても、事故の原因を分析したり、彼の国の高速鉄道が抱える技術的な課題を指摘しようというのではない。中国社会の先行きについて提言を述べるつもりもないし、事故が日本経済に及ぼす経済的なインパクトについて語るプランも持っていない。
それらは、専門家の仕事だ。私の任ではない。
私は、事故を受けて、私たちの周囲に漂っている奇妙な「気分」について考えてみたいと思っている。
というのも、専門家の分析を待たないとはっきりしない真相や課題はともかくとして、私どもメディアの受け手であるパンピーは、まずなによりも「気分」を変えるためのスイッチとして、ニュースを摂取する存在だからだ。
事故の詳細は、まだはっきりしていない。おそらく、すべての事実が白日のもとにさらされるまでには、まだまだ相当の時間がかかるはずだ。
が、「事実」とは別に、「気分」は既に醸成されていて、われわれは既にそれを味わっている。
その「気分」は、事故が起こる以前からあらかじめ準備されていたものだ。別な言葉でいえば、日中間にわだかまっていた過去のいきさつや未消化な感情を、われわれは、事故を機にひとまとまりの形として、外に吐き出そうとしているということだ ・・・
この記事はこちら 小田嶋隆のピース・オブ・ア・警句
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