エアコンを止めて分かったニッポンの夏の過ごし方
7月 10th, 2011 | Posted by in 5 オピニオン小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句 2011年7月8日(金)
暑い。
エアコンの起動を半ば封印されている今年の夏の暑さは、また格別だ。
東電の「でんき予報」をアタマから信じ込んでいるわけではない。若干疑っている。なにより、棒グラフという形式がうさんくさいと思っている。何も信じられない。日付さえ。
「でんき予報のホームページだと今日は水曜日になってるけど本当だろうか?」
「さあな。陰謀かも知れないぞ」
東電は、今後30年ほど、何を言っても疑われる。そこのところは覚悟してもらわないといけない。
「東京電力です。検針に参りました」
「ほほう、メーターに盗聴器を仕込むつもりだな?」
直接顧客と対面する部門の社員さんは大変だと思う。恨みは経営陣にぶつけてほしい。ぜひ。
東電情報の信頼性はともかく、野放図にエアコンを回すことには、やはり抵抗がある。日中、一人でいる時は、特にそうだ。自分一人のために、全空間を冷やすのだと思うと、どうしても気がひけるのだ。自分がこんなに小心者だとは思っていなかった。ばかみたいだ。
で、7月に入って以来、日中はほとんどエアコン無しで過ごしている。35度を超えた日もあるというのに。こんなことは、学生時代に、実家の離れ (もともとアパートとして貸し出していたのだが、隣家のトタン屋根からの照り返しであまりにキツいので、借り手がつかなかった)で暮らしていた時以来だ。
今回は、その暑い夏の中であらためて気づいたあれこれについて書くことにする。なにぶん高温化した炉心で考えた内容なので、情報としての有用性に は自信が無い。役に立たないかもしれない。ただ、暑さがインテリ(←私のことだが)をどんなふうに無力化するのかということについての参考資料にはなると 思う。
最初に率直なところを述べる。この猛烈な暑さは、実地で体験してみると、案外、悪くない。
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今日から1週間程の予定で太陽光発電の設置工事をやってもらう。そんな事をしても元はとれない。台風で飛んだらどうするの。という嫁はんの猛抵抗にあい離婚の危機を乗り越えて、やっとここまでたどり着いた。
自然エネルギーへのハードルは高いがこりずに次は太陽熱湯わかしで抵抗勢力とバトルする。
クーラーは勿論扇風機も使わず、団扇と網戸でこの夏も乗り切る。土用半ばに秋の風という昔の人の言葉もある。自然の風に勝るものはない。96才の母はこの夏もお迎えがきそうにない。
孤軍奮闘の管総理のいうとおり、脱原発の柱は国民の節電だと思う。放射能には勝てないが、夏の暑さとは戦える。