原発事故の憂鬱と空疎な議論に関心を奪われて、いまの日本にいると外が見えなくなる
7月 1st, 2011 | Posted by in 5 オピニオン川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」
震災から100日以上たった今日も、体育館で暮らしている人がいる。そのすぐ近くの町では、すべてが平常に機能しているにもかかわらず、である。東 京も、少し暗くなったり、暑くなったりしているところはあるにしても、不自由はない。関西にも行ったが、観光客が減った以外は、皆が地震とはまるで無関係 に暮らしているように見えた。
ハイチなら分かる。国中が貧しく、国中に水がない。だから、地震の後の復興も遅々として進まない。被災者は運が悪かったのだ。しかし、なぜ、この豊かな日本で、被災者がこんな思いをしなくてはいけないのだろう。
国民全員が打撃を受けたわけではないということは、本当は幸運なことなのだ。この幸運を、被災者のために利用できるかどうかは政治の力に掛かって いる。ただ、おそらく私たちにも責任はある。自分たちのことばかりで、被災者を忘れ、世界で起こっている事も忘れ、どの食品が汚染されているか否かという 報道にばかり気を取られている。
体育館の被災者は、日本の国民全員の恥だ。どうにかしたい。子供たちも守りたい。ただ、日本にいたあいだ中、では、何をすればよいのかがわからな いところが、とてももどかしかった。結局、自分も口先ばかりだと思うと自己嫌悪だ。そして、こういうふうに自己嫌悪に陥っている人は、今の日本にかなりた くさんいるのではないだろうか。
今、日本にいると、外が見えなくなる。この内向と憂鬱、そして、何よりも空疎な論議が、日本を蝕んでいる一番の病気に思える。
この記事はこちらから 現代ビジネス 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」
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