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「放射線リスクを正しく怖がる」の嘘、エリートがパニックを引き起こす!?

1月 25th, 2012 | Posted by nanohana in 3 隠蔽・情報操作と圧力 | 5 オピニオン

exiteニュース エキレビ! 2012.1.25

岩波書店『科学』2012年1月号・特集「リスクの語られ方」

「正しく怖がる」なんてことが言われる。原発事故の放射線リスクを正しく知って正しく怖がりましょう、と。
でも、この表現は問題だという指摘がある。
岩波書店の「リスク・コミュニケーションのあり方」で吉川肇子は、次のように記す。
“問 題になるのは、(放射線)リスクについて、人々が合意しないのは、適切な科学的知識を欠いているからであるという「欠如モデル(deficit model)」が含意されているからである。「正しい」とか「正確な」という表現は、あたかもこの問題に対して合意された正解があるように錯覚させる。”
ところが、まあ、現状で正解が得られているとはいいがたい。情報を集め、議論を積み重ねていくしかないのだが、“情報の正しさに固執することは、情報提供を萎縮させることにつながっている”

また「風評被害」や「パニック」という言葉が乱用されることにも疑問を呈する。
風評被害があるので気をつけましょう、パニックにならないように冷静に行動しましょう。そういったメッセージを発する側は、冷静なのだろうか?
“市民の行動を懸念する行政担当こそ、合理的かつ冷静に行動していたかどうかも疑わしい”
風評やパニックが本当にあったのかどうか、情報元を明らかにできないものが多いと述べ、具体例が示される。
たしかに、ツイッターなどでも、風評被害だとツイートされても、風評」そのものがウワサでしかなく、メタ風評になってる例をよくみかけた。
危機的状況で問われるのはリーダーのコミュニケーション力であるにもかかわらず、“一 般の人々に責任を押しつけるような否定的な言葉で状況を語ることは不適切であり、その悪影響は計り知れない。本当に「パニック」や「風評被害」が起こって いるとしたら(筆者はそう考えていないが)、それを引き起こしているのは、それらの言葉を使うまさにその人である。エリート・パニックの分類に立ち返るな らば、「エリートがパニックを引き起こす」事例ということができよう”

専門家の意見をどのように参考にすればいいのか、という点もむずかしい。
景浦峡のテキスト(「専門家」と「科学者」:科学的知見の限界を前に」)は、「まだ、わからない」出来事を前にしたときに専門家がおちいる典型的な話法をとりあげる。
専門家が「知っている人」としての立場を保持するために“「私が知っていることが正しいためには、現実はこうでなくてはならない」”という本末転倒な思考回路の罠にハマってしまうのだ。

紹介されている専門家や科学者の発言を読むと、驚く。ものすごい空疎な詭弁。そんな発言が、あたかも意味あるように語られ、受け入れられる。たわごと発言が既成事実のように報道され、流通してしまう。

石村源生は、「わかりやすく説明する」ことを単純に良しとする態度にメスをいれる(「原発事故後の科学技術をめぐる「話法」について」)。
「わかりやすく説明してほしい」という願いの背後には、「判断を代行してくれない」という不満が隠されているのではないか。
“興 味深いのは、ウェブ上の専門家の記事で評価の高いものを見てみると、ブックマークなどの評価コメントの中に「わかりやすい」と「安心した」がセットになっ ていることが多かったことだ。これは何を意味するのか。「わかりやすい」から「安心した」のか。「安心させてくれた」から「わかりやすかった」のか。両者 は独立なのか。「わかりやすさ」の問題は、単純ではない”

ネット上では、専門家でもないのに専門家と偽って、原発の情報を流す人もいる。
ツイッターやFaceBookやブログで、だれもが情報を発信できるようになった。RTやシェアで、情報を自らの手で拡げることも簡単だ。だれもが情報発信のリーダーになれる時代になった。
「正しく怖がる」「風評被害」「パニック」と言いたがる背景には、“危機的な渦中にあっても自分を優れた人物であると見せたいという印象管理の動機が背後にあるように思われる”と、吉田肇子は指摘する。
こういった“「自分はマス・メディアの影響を受けないが、自分以外の他者(第三者)はマス・メディアの影響を受けている」”という印象管理を、心理学用語で「第三者効果(the third person effect)」と呼ぶそうだ。
あるあるあるーと叫びそうになった。と、同時に、自分の中にそういった気持ちがなかったか不安にもなる。

吉田肇子は、危機時に必要な資質は、コミュニケーション能力だと記す。
“コミュニケーションを通しての、混乱している状況の「意味づけ」である”
否定する予言として機能する言説ではなく、やりとりのなかで意味をみつけ、より良い方向に歩んでいける場をつくるためにコミュニケーションしていかなければならないと、改めて意識した。

岩波書店の『科学』1月号、特集「リスクの語られ方」は、他にも刺激的で考えるきっかけになった記事がたくさんある。ぜひ、多くの人に読んでもらいたい。

岩波書店の(公式)1月号特集「リスクの語られ方」
■リスク・コミュニケーションのあり方……吉川肇子
■「専門家」と「科学者」:科学的知見の限界を前に……影浦峡
■確率的リスク評価をどう考えるか……竹内啓
■いま,水俣学が示唆すること……原田正純
■原発事故後の科学技術をめぐる「話法」について……石村源生
■低線量被ばくとどう向き合うか……石田葉月
■企業の失敗──企業制度とリスクの外部化……竹田茂夫
■原子力をめぐるリスクと倫理──ドイツ倫理委員会報告におけるリスク認識……吉田文和・吉田晴代

(米光一成)

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