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藤田正美の時事日想:なぜ原子力災害対策本部の議事録がないのか

1月 23rd, 2012 | Posted by nanohana in 3 官僚 | 3 政府の方針と対応 | 3 隠蔽・情報操作と圧力

BusinessMedia誠 2012.1.23
NHKが政府に原子力災害対策本部で行われた議論の議事録の公開を請求したところ、議事録が作成されていなかったことが判明した。一国の政策を決める場で、記録を取らないのはコンプライアンス違反だと、筆者は指摘する。

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグ ローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年~2000年に同誌編集長、2001年~2004年3月に同誌編 集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”

いったい日本を動かしている人々は、自分たちの責任を心得ているのだろうか。NHKが政府に対して原子力災害対策本部で行われた議論の議事録の公開を請求したところ、議事録が作成されていなかったことが判明した。

これでは政府の事故対応が適切だったかどうか、検証することもできまい。「忙しかったので議事録を作成することができなかった」という原子力安 全・保安院の言いわけもにわかには信じがたい。官僚であれば、何はともあれ記録を取っておくのが当然だ。政治家に責任を押しつけられそうになった時に唯一 「保険」となるのは議事録である。

「録音もしなかった」というのはいかにも解せない話である。原子力災害対策本部は官邸の中に置かれた。そこで開かれる会議は自動的に録音する仕組 みになっていなかったのだろうか。ちょっとした小部屋で行われた非公式の会議などではない。官邸の5階にある総理会議室で行われている話を自動的に録音す るのは、当然といえば当然ではないだろうか。まさか緊急事態に直面して対策会議を開く時に、「おい、誰か録音機を持ってこい」などという間抜けな命令をし なければならないというような状況が現代のこの世の中にあっていいはずがない。しかも官邸は最新の装置を組み込んで建て替えられたばかりだ。

よほど誰かがまずいことを口走って、「この議事録は公表するな」などということになったのだろうかなどと邪推してしまう。しかも、東電に置かれた 政府と東電の統合対策本部でも議事録はないのだと言う。要するに、たまたま間の悪いときに総理大臣をやっていた菅首相や経産省のお役人も含めて、政府のガ バナンスとかコンプライアンスがまったくなっていないということだ。

これでは何を根拠に避難指示を決め、何を根拠に「健康に直ちに影響はないから屋内待機するように」と言ったのか、誰も検証できない。政府や国会の事故調査委員会は、どうやって当時の状況を再現するのだろうか。

菅直人前首相(出典:首相官邸公式Webサイト)

原子力災害対策本部の意思決定が行われていたのは総理執務室が置かれている官邸5階だった。ここでの議論や意思決定が、地下の官邸危機管理セン ターに集まっている各省局長級幹部にうまく伝わらず、コミュニケーションが不十分であった。政府事故調は中間報告でこう指摘している。

なぜ原子力災害というそれこそ日本が経験したことのない災害に直面したときに、危機管理センターで意思決定が行われなかったのだろうか。なぜ一刻 を争うような事態のときに、一度の会議で政府のすみずみにまで官邸の意思が伝わるような形にしなかったのだろうか。政治主導にこだわる総理が、役人中心の 危機管理センターを嫌がったのだろうか。

米国の場合は

一国の政策を決める場で、記録を取らないというのはまさにコンプライアンス違反だと思う。米国のキッシンジャー元国務長官は著作の中で、自分が 行った「電話外交」の録音をすべて書き起こし、それを国立公文書館に渡したとしていた。さまざまな判断や決定は、結果的に正しいこともあれば、間違ってい ることもある。さらに時間が経てば、正しかったことも誤りになってしまうこともある。そして何よりも肝心なことは、すべての記録は次によりよい判断や決定 をするための材料になるということだ。

米国のホワイトハウスは、会議などは徹底して録音されているはずだ。そして記録の削除は相当の理由がなければできないはずである(ニクソン大統領の執務室で行われた会話の録音テープが、大統領弾劾の1つの有力な証拠になった)。

ホワイトハウス公式Webサイト

菅首相は「歴史が自分を正しく評価してくれるだろう」という主旨のことを言ったが、議事録がないという事実で評価は大きく下がると思う。歴史家は客観的資料がないところで判断しなければならないからである。

こうなったら、政府事故調も国会事故調も当時の出席者のすべてのメモを回収し、徹底的に「尋問」してでも記録を作らなくてはならないと思う。歴史的な大事件の重要な資料がないなどという恥を後世に残してはならないのである。

 

 

この記事は BusinessMedia誠

 

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