ビデオ・ニュース・ドットコム ニュース・コメンタリー 2011.12.24
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国民投票を特集した雑誌「通販生活」のテレビCMを、意見が一方的であるなどの理由からテレビ朝日がその放送を拒んでいたことが29日までに明らかになったが、果たしてこれは一定の公共性が要求されている放送局の判断として妥当なものだったと言えるだろうか。
拒否されたテレビCMは通販会社のカタログハウスが発行する「通販生活」秋冬号を宣伝するためのテレビCMで、その号で通販生活は国民投票を特集していた。CMでは画面に「原発、いつやめるか、いつ再開するか、それを決めるのは、私たち国民一人一人」などの文字が流れ、それが同時にナレーションで朗読されるなど、国民投票の実施を推奨するメッセージが込められているが、原発そのものの是非については、CMでは直接言及されていない。
カタログハウスはCMの放送が拒否されたことを認めた上で、「放送局でどのような判断がされたかわからないが残念」と語る。このCMの放送するために確保していたテレビ朝日の「報道ステーション」と「徹子の部屋」の2番組のCM枠では、別途同社の別の広告を流したと言う。また、カタログハウスは放送されなかったCMを自社のウェブサイトで公開している。
CMを拒絶したテレビ朝日の早河洋社長は同社の定例記者会見で、意見が対立する公共的な問題については多角的に論じることを定めた民間放送連盟の内規に抵触する恐れがあったことなどを、放送拒否の理由として挙げた。
しかし、このCMは原発の是非そのものを問うものではなく、その是非を問うための国民投票の実施を主張するというもの。国民投票実施の是非をめぐり早河社長が言うような国論が二分されている状況があるかについては多いに疑問が残る。むしろ、国民投票がどのようなもので、それが社会にどのような影響を与える可能性があるかなど、国民投票に関する基礎的な知識を多くの国民がまだ持ちえていない状況の下で、今回のような国民投票を特集した記事を出すことには、公共的な意味が大きい。
むしろ、そのCMを「意見の対立」を理由に拒絶することは、国民投票が行われれば、自分たちにとって好ましくない結果が出る可能性が大きいことがわかっているために、それが実施されることを避けたい側の主張のようにも見える。
国民投票については、それが人気投票やポピュリズムにつながる危険性があるとの指摘が根強く、その杞憂そのものには一定の根拠がある。
しかし、その一方で、国民投票が実施されることが決まれば、争点についてメディアや政治の場で多いに議論が交わされるようになり、そうした議論を通じてより多くの国民がその争点をより深く理解することができるようになるという教育的な効果が期待できるとされている。
カタログハウスの国民投票CM拒否事件から見えてくる、既得権益と国民投票との関係を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
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