2011.12.16
原爆調査 アメリカに追随 被害隠し
矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授
福島第一原発の事故で、放射性物質を体内に取り込む被害が現実化し始めた。しかし政府は、この内部被曝を軽視する傾向を崩していない。
矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授によると、広島・長崎の原爆被害の調査に当たった放射能影響研究所(放影研)の情報操作が、こうした偏向を生み出したという。同氏は警告する。「福島で広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない。
法影研は、1975年、被爆者の健康を調査する日米共同の研究機関として発足した。前身は、米国が1947年に設けた原爆傷害調査委員会(ABCC)だ。
「ABCCは、サンプル用に皮膚などは採取したが、治療は一切しない非人道的な調査を進めた。初期放射線による外部被曝の被害は消しようがなかったものの、放射性物質を含んだほこり(放射性降下物、黒い雨)を吸い込んだり、飲みこんだりして起こる内部被曝の被害を隠した。
米国は、原爆を残虐兵器と見なされないために犠牲者を隠し、原子力の平和利用名目で、日本に商業原発を押しつけるため、内部被曝を見えないようにした。
この悪名高いABCCを丸ごと引き継いだのが法影研だ」
この結果、1957年に施行されていた旧原爆医療法は、米国の内部被曝隠しに追随する被爆者認定基準を設けた。
「初期放射線だけに、被曝を限定し、被曝範囲を爆心地から2キロにした。内部被曝は一切無視した」
ところが、1980年代以降の原爆症認定訴訟で、被爆者たちが内部被曝の被害を具体的に証言するようになる。
国として、裁判をしのぐためには、法廷の被爆者認定基準に、『科学的』根拠を与えなければならず。内部被曝の被害も公式に否定しなければならなくなった。
この意酌んで法影研は86年、個人の被曝データを基に、それぞれの線量を推定するシステム(DS86)を発表する。
だが肝心のデータにからくりがあった。
「DS86が扱っているデータは、すべて45年の枕崎台風後に測定したものだ。枕崎台風は、広島には原爆投下から42日後、長崎には39日後に襲来し、地表の放射性物質をほぼ洗い流した。
かろうじて土中に残存していた放射性物質をそくていして『もともとこれしかなかった』とウソをついた。だから、『内部被曝の影響ない』と言い切るのは簡単なことだった」
先月末、法影研の隠蔽体質を象徴するような問題が発覚した。
原爆投下後に高い残留放射線が見つかった長崎市西山地区の住民からセシウム検出など内部被曝の影響を確認していたにもかかわらず、89年で健康調査を打ち切っていたのだ。
「DS86と根本的に矛盾する研究を続けるわけにはいかなかったのだろう。」
内部被曝軽視の姿勢は、米国が主導する国産放射線防護委員会(ICRP)の手でグローバルスタンダード化した。
原爆やチェルノブイリ事故の内部被曝データは公式記録から徹底的に排除され、犠牲者は切り捨てられた。
福島原発事故後、内部被曝の恐ろしさが広まる一方、過剰反応と冷笑する向きがある。
「内部被曝は、がんだけでなく、下痢や鼻血、のどの腫れなど様々な症状の原因になる。それなのに、医者たちの間で『福島事故での低線量被曝で今頃、健康被害が出るはずがない』という医の安全神話が形成されてしまっている。病人の心配を笑い飛ばすのではなく、命を救うために原因を虎視眈々に科学してほしい。」
このサイトには矢ヶ崎克馬さんのインタヴューや論文などがたくさん掲載されています。
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