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全原発が止まった。この貴重な贈り物を大切にしたい

5月 6th, 2012 | Posted by nanohana in 2 停止原発の再稼働 | 5 オピニオン

5月5日の深夜、動いていた最後の原発、北海道電力の泊原発3号機が定期点検のため止まり、ついに原発の一台も動いていない日本が出現した。

nanohanaではサイトのスタートとともに、トップページに稼働原発のカウントダウンを掲載し、全機が止まる可能性を見つめてきた。実現する可能性が大いにあると思ってはいたが、実際にそれが実現するのは大変感慨深い。
まずは、素直に稼働原発ゼロの日を喜びたい。

しかし、この原発の一台も動いていない日本は何かの努力によって生まれたものではない。それは大震災と原発の壊滅的な事故との余波であり、それが大震災と原発事故による多くの(そしてこれからも延々とつづくであろう)犠牲者の上に成り立っていることを忘れてはならないだろう。最大級の自然災害と最大級の人災の複合災害という、人類未曾有の大災厄の焼け跡に咲いた一輪の花。
この大きな犠牲の上に出現した「原発の一台も動いていない日本」という奇跡を大切にしたい。

事故の日以来、稼働原発ゼロへのカウントダウンを数えながら、私たちは多くを考え、多くを学んだ。
そして、今気がついている。原発とは私たちのライフスタイルがもたらした怪物であり、もしその再稼働を望まないならば、私たちはライフスタイルを変えてゆかなければならないだろうということに・・・

今日、大手マスコミにいくつもの再稼働を望む記事が載ったが、その多くは産業界の声としてだった。
「いら立ち募らす経済界」 「従業員の生活にしわ寄せ」 「産業界にとっては安定生産の障害」 「海外移転が加速しかねない」
原発を望んでいるのは産業界なのだ。このことはとても象徴的に思える。

私たちの消費、そしてそれを支える生産システムである産業界。このシステムは限りない欲望を作り出しながら、去年よりも今年、今年よりも来年と、毎年利益が増え続け、生産が拡大し続けることを前提に成り立つように出来上がっている。逆に言えば、毎年生産が現状維持あるいは縮小し続けると成り立たずに潰れてしまう。大変困った、未熟なシステムだ。
そして、この拡大し続ける生産を支えるエンジンとして、もてはやされてきたのが原発だ。
いわば原発は産業の華であり、また消費の華ともいえよう。

私たちが原発をなくそうと思えば、改めなけれなならないライフスタイルの筆頭は、「贅沢は素敵だ」と言われてきた、この生産と消費のシステムではないだろうか。
ちょっと見には消費、贅沢、浪費はなかなか止まらないと考えられがちだが、実は本当に止まりづらいのは生産の方だと思う。

なぜか?
私たちは「働かざるもの食うべからず」という価値観に強く呪縛されているからだ。
私たち個人がというよりも、社会全体が・・・

革新的な技術の進歩は、本来なら人々を労働や苦労から開放しそうに見える。
例えば、田畑をクワで耕していた頃と比べると、耕運機が耕してくれる今の方が農業は楽になっているはずだ。
しかし不思議なことに、現実はそうはなっていない。
生産効率が上がると、値段が安くなるからだ。同じだけの稼ぎを上げるには、生産量を増やすしかない。作業の効率が倍になる技術が出現しても、倍以上の生産をしなければならなくなるとすれば、作業は楽にはならず、逆によりきつくなる。

今の農家は、クワで畑を耕していた頃と同じ生産量ではとても食べていけない。クワの時代の何倍も何十倍も、ひょっとしたら何百倍もの生産高を強いられている。
これでは技術の進歩によって解放されるどころか、負担がどんどん増えてゆくだけだ。

もちろん農家だけではない。あらゆる産業や、生活の中でも、同じことが起きている。
新型の洗濯機の出現によって主婦は楽になるのか?
新型の洗濯機などを買える生活水準を維持するために、主婦業の片手間にアルバイトにいかないとならないとしたら、さらには夫婦共働きでないとやっていけないとしたら、何のための技術革新なのだろう?

私たちの周りの技術革新はしかし、そういう風に進行してきた。
それは決して人々を解放する方向には向かっていなかった。

つきつめると機械に仕事を取って代わられて、失業するという事態すら発生する。
各地の都市で無人の電車が走っている。運転手はもう必要ない。
さあ、運転手は究極の”楽”を手に入れたのだろうか?
もう働かなくても食べていけるのか?

もちろん、そうではない。
私たちの社会は「働かざるもの食うべからず」という価値観に縛られているのだから。

運転手は仕事から解放されたのではなく、
ただ単に食い扶持を失ったのだ。
彼はきっと、食うために何らかの新しい仕事を探さなければならないだろう。
社会にとって重要な仕事ほど、機械化、効率化が進んでいる。
それによって仕事から締め出された人たちがありつける仕事はどんなものだろう?
おそらく、少しずつ重要さを失い、だんだんに、あってもなくてもいいような仕事になってゆく。
社会にとっては、ほんとは別にやらなくてもいいのだけど、
でもそんな仕事でも無理やり作り出さないと食っていけないからね・・・
かくて、世の中にはどうでもよいような仕事、産業、商品が溢れ出すようになる。

これを消費の側から見るとどうだろう?
例えば食料はどんどん生産量が増えてくるので、
一人あたりの食べる量もそれに見合って増えないとおかしい。
当然そうなる。
結果は肥満と糖尿病とダイエットブームと食べ残しのゴミの山だ。

食料など重要な品物の生産の機械化・効率化・無人化が真っ先に進むと、
それで職を失った人々は別の仕事を求めて、だんだんどうでもいいようなものを作り始める。

そうしたどうでもいいような商品も買い手がいないと成り立たないので、
人々はどんどん、なんだかどうでもいいような物を買わされるようになる。
例えばテレビの通販とかでね・・・

なんで、そうまでして働かないといけないのでしょうね?
何かおかしいよね。

この産業界というシステムは、無限に生産量が増えて行かないと成り立たない事になってる。
だけど、もちろん無限に増えてくなんて無理だ。
地球は有限だし、資源も、エネルギーも有限なのだから・・・

私たちは大きな時代の曲がり角に来ているのだと思う。
”成長の限界”というやつだ。
私たちがこれから減らしていかなければいけないのは、
消費ではなく、
生産であり、仕事だ。

生産物はもう溢れている。
あふれに溢れている。
これ以上作り出すことには、悲鳴を上げているのだ。
工場の社員がじゃないよ、地球がだ。

原発の事故は地球がそれを教えてるのだと思う。
もう、限界が近いよって。

だから、私たちが編み出さなければいけない新しいライフスタイルは、
仕事を減らし、生産を減らす、
なんて言うか遊んで暮らすに近いものになるんじゃないだろうか?

食料など本当に必要なものは、機械がかなりの部分を働いてくれるとしたら、
人間はそれ以上あんまり余計な仕事を増やさない方が地球のためだ、よね?

これってでも、今までの経済のシステム、
働いた見返りにお金を得るというシステムとは全く相容れない。

だから、なかなか難しそうだ。
これからは遊んだ見返りにお金を得るような新しいシステムをつくらないといけない。
これが新しいライフスタイルになると思う。
難しいだろうけど、いろんなものごとを発明してきた人類だからきっとできると思うな。
たとえばベーシックインカムとかは多少ともこれに近い経済理論だし、
もっともっと考えれば、良い知恵が浮かぶはずだ。

そして、遊んだり、踊ったり、ぶらぶらしてるとお金をくれる会社があれば、
みんな強いてまで働かなくなるんじゃないだろうか?
地球は少しは楽になるし、
私たちは、失業ではなく、解放されるのだ。

原発が次々に止まってゆくなかで、
政府や電力は、原発がないと困ったことになるよという苦し紛れのキャンペーンとして、
電力が不足するというデマを煽った。
そのデマにおどらされ、脅されながらも
私たちは”節電”というあたらしい習慣を身につけた。

しかしこれは単なる我慢では無い、なかなかすばらしい経験だった。
部屋の明かりを2割ぐらい暗くしても不自由もないことを知った。
電気料が安くなるのもうれしかったし、
別に見たくもないのにだらだらつけてたテレビを止めたら、
会話も増え、食事も楽しくなった。
友達は会社の冷房がゆるくなって冷え性の自分には良かったといってた。
我慢したことよりも豊かになったことの方に喜びを感じてる自分がいた。

”節電”はいろいろな発見があった。
電気の消費を減らすことは、
必ずしも我慢だけではないという、この発見は大きい。
豊かさや、解放がどこにあるのか少しだけ見えた気がする。

来るべき新しいライフスタイルは、
決して贅沢をあきらめることであったり、
買いたい物を我慢するようなネガティブなものではないと思う。

むしろ私たちは、無駄な仕事や消費をさせられ消耗しているのだと気づけば、
それらを減らすことは、自分の豊かさを取り戻すことであり、解放なのだとわかる。

せっかく全部止まった原発だ。
これはどう考えても神様の大きなプレゼントだと思う。
大事にしよう。
再稼働はしてほしくない。

そのために、
私たちは自分を解放するという新しいライフスタイルに挑戦してゆくことになるだろう。
その先に待っている世界を思うと、なんだかどきどきする。

無駄な電気を止めたように、
無駄な労働をやめて、人々が踊っている社会が実現したとき
原発は過去の遺物となっていることだろう。

夢を見る力が現実を変えてゆく。
私たちは今、新しいライフスタイルの入口に立っている。

 

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