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東京新聞 社説 2012.2.4

 原子力は多くの命を危険にさらすことがある。それを監視すべき機関がこれまで実は、原子力ムラの一員だった。新たに発足する原子力規制庁の最初の仕事は“独立”を示すことである。

 原発の規制を担う原子力安全・保安院は、原子力の旗振り役を務める経済産業省の外局、つまり下部組織。これが、そもそもの間違いだった。推進と規制が同居する産学官のムラ社会の中で、すべてが決められ、進んでいた。

 緩い基準と規制のもと、国中に原発と、その安全神話をばらまいておきながら、大事が起きれば「想定外」とほおかむり。シンポジウムで推進をあおるような、電力会社へのやらせ工作もあった。

 保安院の無責任と偏りに強い不信を覚えているのは、福島の被災者だけではない。看板をいくら書き換えても、中身が変わらなければ意味はない。 

 信頼回復に今最も必要なのは、規制庁の独立性だ。

 米国の原子力規制委員会(NRC)のように、なぜ政府から独立した機関にしなかったのか。保安院から多くの職員が移るとされるが、それで本当に大丈夫なのか。国民の不安はぬぐい切れない。

 原子力ムラから抜けられるかどうか、長官人事が最初の試金石になる。経産省はもとより、官僚からの天下りや出向は、断じて許されないだろう。

 原子力規制庁の設置を含む関連法改正の基本理念は、放射線の有害から人と環境を守ること。規制と責任のあり方を、国民の目に見えるようにすることだ、という。

 政府はこれまで、原子炉の設置を認めたあとの安全対策は、電力会社の自主的な取り組みに委ねてきた。しかし、福島の事故を受け、直接規制に乗り出した。

 原発の“寿命”を法的に原則四十年に制限し、過酷事故への対策や、最新の安全基準や技術を古い原発にも適用すること(バックフィット制度)を義務付けた。

 規制庁は法の理念にのっとって、国民の健康と命を守る独立した立場から、原発や原子力に監視の目を光らせるべきだ。そして評価や規制の内容を、国民に対してまず正直に、次にわかりやすい言葉で報告すべきである。

 四十年寿命が確立すれば、老朽原発の廃炉、解体も大きな問題になってくる。福島第一原発の残骸や溶け出した燃料の処分も気がかりだ。規制庁は廃炉や核のごみからも目を背けるべきではない。

この記事は 東京新聞 社説

 

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