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とんでもない!「冷温停止状態」宣言 第三者委員会が目で確かめてから言え

12月 28th, 2011 | Posted by nanohana in 1 福島を救え | 3 政府の方針と対応 | 3 隠蔽・情報操作と圧力 | 5 オピニオン

日経ビジネスオンライン

藍原 寛子 【プロフィール】 バックナンバー
2011年12月28日(水)

野田総理は12月16日、原子炉の「冷温停止状態」達成と、事故収束を目指した工程表の「ステップ2」完了を宣言。18日にはこれら完了を踏まえて、来年3月末をメドに避難区域の見直しを図る方針を示した。

しかし福島県内では仮設住宅や民間借り上げ住宅などに9万5000人以上、県外では6万人以上が依然として避難生活を送っており、事故収束への実感は程遠いのが現状だ。

福島県内で暮らす人々は、野田総理の「冷温停止状態」宣言をどのように聞いたのか。今後の課題は何か。福島の現状について県内外に情報発信を続ける3人に話を聞いた。

あたかも終わったかのような印象づけ

飯舘村の酪農家で、前田行政区長や福島県酪農業協同組合理事を務め、各地で村や福島の現状を話している長谷川健一さんは、憤りを込めてこう語る。

長谷川健一さん

「冷温停止で、国は国民に対して早く原発を忘れさせようとしている。原発事故そのものが、あたかも終わったかのような印象づけをしようとしている――。 その一言に尽きる。福島でこのような事故があったのに、国は原発再稼働や原発輸出などを持ち出す。いったい、この福島で起きていることは何なんだと言いた い」

飯舘村は、東京電力福島第一原子力発電所から30キロメートル圏外でありながら、放射性雲の影響で高濃度汚染地域になってしまった。長谷川さんも飼っていた牛を手放さざるを得なかった。

文部科学省のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータの公表が遅れ、汚染実態が村民には知らされないまま。事故後1カ月半以上経った4月20日になって計画的避難区域に指定され、その後、村民の避難が始まるなど、対応も遅れた。

長谷川さんは現在、伊達市内の仮設住宅で生活しながら、2日に1回は飯舘村前田地区の自宅に戻っている。村民による防犯パトロール隊「いいたて全村見守 り隊」として、前田地区の巡回警備に参加するためだ。活動は6月から始まり、24時間・3交代制で、午前7時~午後3時45分、午後3時~11時45分、 午後11時~翌朝7時45分のいずれかの担当時間で地域の各世帯を回る。仮設住宅に移ったとはいえ、村とのつながりや、村のために何かしたいという思いは なくなってはいない。

「やっぱり自分の故郷だから、戻ってきたいとは思うけれども…。いずれ現実との見極めをしなければならないだろう」。故郷や我が家への思いをにじませた。

隠ぺい体質に落胆、同時に怖さも

「国はとにかく、冷温停止状態や第2ステップ完了宣言で、『事故が終わりました』という国民感情にしてしまおうということかもしれないが、冷温停止と 言っても、誰も燃料の状態を目視で確認しておらず、推測に過ぎない。自分の目で確かめてこうだと言うのなら納得もするが、あくまでも推測。冷温停止状態、 第2ステップ完了というのはとんでもない」

今も避難生活を続ける村民の生活と、冷温停止状態宣言とのギャップに、怒りと落胆を隠せない。

「この国の体質はやっぱり、全てが隠ぺい体質。隠して、隠して…、それに尽きる。我々は今もまだ避難していて、これからどうなるか先が分からない状況な のに…。国の隠ぺい体質には本当にがっかりした。そして同時に、これほど怖い国はないと思う」と国民に情報が知らされないことの問題点を指摘する。

来年はどんな年になると思うか聞いた。

「(来年は)全く分からないね。飯舘村では今まさしく除染活動を実施しており、来年には除染のモデル事業の結果も出てくると思う。その結果を見て、除染 の効果を検証し、いずれ村に戻ることができるのかどうかを判断することになる。もしだめだとすれば、ほかの方法を考えなければならないだろう。除染の効果 がなければ、村を出て行くことも考えなければならないのではないか」。

「このまま除染を4年、5年と続けていって、それでも、やっぱり村を出て行かなければならないということになれば、時間と予算が無駄になる。除染と村を 出ること、この2つのシミュレーションを持って国と協議をしていかないとダメだろうと思う。もちろん、自分の生まれた故郷だから戻りたい。だが果たしてそ れが可能なのか。その見極め、それも早い決断が必要になるだろう」。

牛を手放し、いずれ家や土地や、住み慣れた生活すべてを手放す――。来年以降、長谷川さんを含め、飯舘村民にはそんな重い決断を迫られる時がやってくるかもしれない。

市民が当事者主義に目覚めるべき時

「政府は冷温停止状態と言っているが、私は原発事故の発表、政府の発表を全く信用していない。事故の発表をするなら、経産省の委員会など原発関係の委員会を完全に第三者委員会にしてからやってくれと言いたい」

荘司信行さん

そう話すのは、福島県内で理美容用品を取り扱う荘司商店の社長で、福島県理美容用品商業協同組合副理事長の荘司信行さんだ。民主党福島県連1区総支部の 常任幹事も務め、震災直後から情報を収集し、雑誌などにも寄稿するなどして福島の現状を発信してきた。野田首相の冷温停止宣言には、やはり厳しい見方をし ている。

「燃料は圧力容器から溶けて格納容器に落ちているという。正しい事故情報は、第三者委員会による検証委員会でなければ信用できない。それに、あたかも事 故が収束したような言い方もおかしい。政府は避難区域の見直し方針を示したが、まだまだ除染もされていない地域に県民を戻していいのかという疑問も残 る」。

「しょせん、政府はカネを使いたくないのでしょう。除染も補償も、コストを下げ、安くすることしか考えていない。震災前、日本政府は、国際放射線防護委 員会(ICRP)の年間1ミリシーベルトという基準でやってきたわけだから、すべての補償も、基準も、1ミリシーベルトから始まるべきだ」

荘司さんは民主党福島県連1区の常任幹事も務めている。現状の課題を解決しきれない政治の限界、問題が継続している現状の根本原因と政治の責任について聞いてみた。

「これだけの問題が起きているのに、県連としても方針を打ち出せていない。原発事故前は原発推進の旗振りをし、事故後には脱原発路線を示したが、それで 済む問題ではない。県民、市民が犠牲になっている。だが結局は、市民や県民がそういう人を選んできたということでもある。最終的には市民が目覚めないとい けない。この事故は、市民に対して、目覚めなさいと言っているのではないか」

荘司さんはこうした思いから、自ら行動を始めた。市民が自主的に参加して政策立案に関わる「福島市民シンクタンク」の設立活動である。地元の福島大学の教授らも参加して、来年2月には設立総会を予定している。

「今回の復興は、単なる経済復興ではなくて、市民自身が当事者主義に目覚めることが重要。誰かにお願いして何かやってもらえるというようなことを考えること自体が間違いなのだと気づく機会だ。市民自身が立ち上がらないと、この現状はどうにもならない」。

この甚大な原発震災を契機に、被災者、市民が自らの手で政治を変える「復興元年」にしたいとの思いを語った。

被災者の日常生活とかい離した「野田宣言」

今年9月、野田総理はニューヨークの国連で「日本の原発の安全性を世界水準に高める」とスピーチした。当時、国連前でデモを行い、野田総理が乗る車に向かって「福島の子どもたちを守れないで原発の安全を世界に言うなんて卑怯だ」と叫んだ佐藤幸子さんにも話を聞いた。

佐藤さんは震災前、川俣町で農業を営んでいたが、現在は山形県で避難生活を送る。11月には福島市内に放射性物質の影響の少ない西日本産の野菜や果物を販売する「野菜カフェ はもる」をオープンさせ、スタッフと共に同店を運営している。

佐藤幸子さん

「『冷温停止』という言葉からは、人が原子炉の中に入って作業できるようなイメージがあるが、知り合いの原発作業者の人から、『そういう状態ではない』 と聞いている。『福島はもう大丈夫』『避難した人も戻ってきていい』、そう言われても誰も信じないと思う」。野田総理の冷温停止状態宣言に対しては批判的 な見方だ。

店内には、野菜を買い求める親子連れや主婦らが次々に訪れている。意外にも利用客からは「冷温停止」に対する意見や、原発の状況についての不安などを訴える声は、あまり聞かれないという。

「お母さんたちももちろん、原子炉や放射能のことは心配だが、今は自分たちの生活で精いっぱい。福島で生活している人は、子どもをどうやって守っていく かが最大の関心事だ。今、『原発を止めないと大変』と行動するところまでいかないというのが本当のところ。『子どもの安心の確保』という最初のステップが クリアーできてから、原発をどうしようかという次のステップになるのだと思う」

このように、佐藤さんは、原子炉の状態と、実際の福島県民の生活の課題が大きくかい離しているのが現状だと指摘する。

佐藤さんが西日本の野菜を販売する「はもる」をオープンさせたのは、食の安全に不安を抱くお母さんたちにまず最初のステップである「安心」を得てほしいという思いからだという。

「日本には本来、『身土不二(しんどふじ)』という、その土地の人はその土地のものを食べるのが良いという考え方がある。本来、東日本の人は東日本で採 れた野菜を食べるべきだが、原発事故で西日本のものを食べざるを得なくなったのは手放しでは喜べない。ただ、放射能の影響を受けていないもの、無農薬のも のなどを食べたい人に、そうした野菜や果物を提供する店も必要だと思う」

佐藤さんの気がかりは、県民の間に広がっている様々な「分断」と「混乱」だ。

「私も農家なので、放射能汚染と農業の厳しさを実感している。農家が野菜を作れば『汚染されたものを作るのか』と言われるが、農家が『野菜を作るな』と 言われたら、どうやって生きていったらいいのか。避難したいのにできないお母さんの中には、『どうして避難しないの』と責められているような気持ちを抱く 人もいる。今、お互いに認め合わないとバラバラになってしまう。こんなことで分断されてはいけない」

店内には、休憩スペースがあり、書籍や雑誌、県内外で活動する支援グループによる情報コーナーもある。勉強会や講演会などの開催も予定しており、情報を求めて集まった人々の交流を深め、混乱や分断を埋めるような場にしたい考えだ。

まだまだ続く住民の原発事故との戦い

福島県民が食の安全や除染、子どもの健康管理、避難先の仮設住宅や民間借り上げ住宅での避難生活など、日常生活の問題で精いっぱいな中で行われた政府の 「冷温停止状態」宣言。原発敷地内の汚染水の増加や、除染作業には3万人以上が必要とされる現状も含めて、収束に向けた道筋が全く見えない中での宣言は、 県民や被災者の声が反映されず、事故から視点をそらそうとしているようにも映る。

空しさや無念さを抱きながら、放射性物質に汚染された土地で暮らす福島県民。「冷温停止状態」宣言によって、人々の声や被災者の日常生活が切り捨てられるようなことがあってはならない。

 
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