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ザ・特集:脱原発「6万人」デモ 「子供守ろう」母の声届け

9月 22nd, 2011 | Posted by nanohana in 1 子供たちを守ろう | 2 STOP 原発 | 2 アクション・選挙・住民投票

毎日新聞 2011年9月22日 東京朝刊

脱原発を訴えデモ行進する人たち=東京都渋谷区で、9月19日、小林努撮影

脱原発を訴えデモ行進する人たち=東京都渋谷区で、9月19日、小林努撮影

東京都内で19日に開かれ、6万人(主催者発表)もが参加した脱原発デモ「さようなら原発5万人集会」。来年2月までに1000万人の署名を集めようというプロジェクトの一環だが、果たして脱原発の強力な推進力となりうるのか。一緒に歩きながら考えた。【宍戸護】

◇娘からセシウム検出。将来の健康影響、不安 「福島だけではなく、国の問題として広がってほしい」

午後1時半、集会開始時刻には、会場の明治公園(東京都新宿区)はいっぱい。会場からあふれた人々で周囲の路上まで埋まっていた。舞台前のアス ファルトには、ピンクの水玉模様の横断幕を持った小学生3人が座っていた。幕には「げんぱついらない!!」。ひらがなの上にはかわいらしい手のイラスト。 山形県米沢市に避難している渡辺加代さん(35)の長女(9)=小3=は「(原発)バイバイの意味だよ」とポツリ。

参加者6万人のうち、福島関係者は数百人。渡辺さんは午前5時50分米沢発のバスに乗ってやってきた。

一家は福島第1原発事故前まで福島市に住んでいた。事故後、渡辺さんは放射能のイロハから調べた末、子供の健康への影響を心配し6月から2歳の長 男と長女を連れ米沢に避難。夫は地元で仕事を続け、家族は二重生活を送っている。これまでデモと無縁だったが、今回は声を出さずにはいられなかった。「長 女の尿から放射性セシウムが検出された。国や自治体は何でも『安全』と口をそろえるが、『将来の健康影響は分からない』が実態。こうなったら自分たちで行 動を起こすしかないでしょう」

脱原発を訴え、参加した子供たち=東京都新宿区の明治公園で9月19日、手塚耕一郎撮影

脱原発を訴え、参加した子供たち=東京都新宿区の明治公園で9月19日、手塚耕一郎撮影

集会場では、作家の落合恵子さんが「ひらがなしか知らない小さな子供が夜中に突然起きて『放射能来ないで』と泣き叫ぶ社会を続けさせてはいけな い」と訴え、作家の澤地久枝さんは「今日まで一人の戦死者も出さなかった戦後は、二度と戦争はさせないと決心した日本の女たちの力だと思います。命をはぐ くむ女性たちが役割を果たすべき時は今です」と熱弁を振るった。

集会場の外にあふれた人波のなかに、脱原発を訴える老舗NPO「原子力資料情報室」の青いのぼりを見つけた。共同代表の山口幸夫さん(73)は 「70年代以来、脱原発に関わっているが、デモでこんな多くの人を見たのは初めて」。それも手をつないだ70代前後のカップル、銀座が似合いそうなファッ ションの50代ぐらいの女性、小さい子連れの親とさまざまだ。「子連れが目立つのは、子供が放射能の人質に取られていると考えている親が多いからでしょ う」と山口さんは見る。

国内原発は、66年に東海発電所、70年敦賀、美浜両原発、71年福島第1原発が運転を開始した。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などが編集し た「開かれた『パンドラの箱』と核廃絶へのたたかい-原子力開発と日本の非核運動-」(七つ森書館)などによると、反原発運動は60年代後半から労働、反 公害運動と連動しながら広がった。山口さんは「漁民が『(原発からの排水で)海が汚れる』と始めました。その漁民の相談に学者が応じた。故・高木仁三郎氏 や、(小出裕章助教ら)京大原子炉実験所の6人がその走りです」と話す。

反原発の署名運動は過去にもあった。79年の米スリーマイル島原発事故後、作家の野間宏さんら30人が3年間の原発運転停止などを求めるアピール を発表、30万人の署名を集めた。86年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故後には、高木さんらが脱原発法制定を求める約330万人の署名を集め、90~91 年に国会に提出したが、無視された。

山口さんは「政治勢力を動かす仕掛けがなかった。今は少しましになりましたが、政治勢力が受け入れるほどの運動になるかは今後にかかっています」と話す。

集会に続くデモでは、福島の人々が「浜通り隊」「中通り隊」「会津隊」の大きなのぼりを掲げ、渋谷区の代々木公園まで約4キロの道を行進した。横 断幕を持っていた吉田優生さん(43)は小1、小3、小5の3人の子供と一緒に参加。福島県田村市に住んでいたが、山形県長井市に避難中だ。子供が持って いた緑色の風船にはこう書かれていた。<友だちをかえせ 自ぜんをかえせ 森かえせ 家かえせ ふくしまかえせ>

素朴な言葉に、福岡に住む2児の母、甘蔗珠恵子(かんしゃたえこ)さんの手紙「まだ、まにあうのなら」を思い出した。

<自分はともかく、子どもを守ろう、生まれたばかりの生命を守ろうとする尊い生物の本能です。私もまた生物です。そして母親です、その本能に衝 (つ)き動かされます(略)原発は怖いから反対だと心の中で思っていても、黙ってじっとしていたら、それは原発を推進する側の力に組み込まれていることに なるのではないでしょうか……>

今ではなく、87年5月に書かれたものだ。チェルノブイリ事故を受けて、勉強会に参加し、原発関係書を読んで感想を友人に書き送ったこの手紙。反響を呼んで出版され、50万部も売れた。

今では書店で見かける機会も少ないこの本の著者と、集会場の母親たちのなんと似通っていることか。

吉田さんは気丈な表情でこう語った。「子供を守るために、脱原発は福島だけの問題としてではなく、国の問題としてぜひ広がってほしいのです」

米国の同時多発テロがあった01年に「世界がもし100人の村だったら」を出版した翻訳家の池田香代子さん(62)もデモに参加していた。「9・ 11の時は、若い人が右や左の思想も関係なく言葉を発した。今回も同じで、さらに裾野が広がっている。二つに共通するのは、私たちが生きていく上でよって 立つ人権を侵害していることです。テロや戦争では生命が侵され、原発では人々のふるさと、つまり家屋敷、なりわいが突然取り上げられてしまった。ただ『忘 却』が気になります。イラク戦争には多くの人が反対したけれど、すでに忘れ去られていますから」

夕方、代々木公園前の坂道を歩く渡辺さんを見つけた。

「デモに初参加したのは、家族の健康と生活が脅かされているから原発をやめてほしいという普通の感覚から。遠い国ではなく身近に起きた事故とし て、今声を上げないでいつ上げるんだと。脱原発をそう簡単にあきらめることはできないのです」。これからバスで山形に帰るという。

脱原発の市民運動は新たな歴史を切り開くのか、再び政治にはねつけられるのか。答えはまだ分からない。

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「ザ・特集」は毎週木曜掲載です。ご意見、ご感想は ファクス03・3212・0279まで




 

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One Response

  • kuwauchi makoto says:

    拡散する放射性物質、幾多の人を恐怖の坩堝にに叩き込み、荒涼たる大地をつくり、満身創痍の菅政権がからくも発した脱原発宣言。しかし、早くも来夏には原発再稼動を示唆する野田政権。小田実が生きていたら「これは人間の国か」とおらび挙げるだろう。署名をしよう。デモに繰り出そう。大きなことは出来なくても、一人一人が少しだけ背伸びをして確かな意思表示をする必要があるのだろう。

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